津波、その時 命を救えた言葉は 東日本を伝えたNHKアナウンサー、自責の念に駆られ13年

東日本大震災直後の放送を振り返り、災害報道を語る横尾泰輔さん=神戸市中央区中山手通2、NHK神戸放送局(撮影・小林良多)

 早く安全な高台に避難してください-。NHK神戸放送局の横尾泰輔チーフ・アナウンサー(49)は東日本大震災当日、東京・渋谷のスタジオから生放送で呼びかけを続けた。だが、逃げ遅れによる犠牲者は増え続けた。「もっと強く呼びかけるべきではなかったか。失われた命は自分の放送のせいではないか」。そんな自責の念を胸に、命を守る言葉を追求してきた。(上田勇紀)

 2011年3月11日午後2時46分。東京のNHK放送センターに勤務していた横尾さんは、午後1時のニュースを読み終えて自席にいた。緊急地震速報が鳴り響く。揺れの中で階段を駆け上り、キャスター席に座った。

 「岩手県3メートル 宮城県6メートル 福島県3メートル」

 大津波警報が発表され、モニターに津波の予想高さが映し出されていた。横尾さんの声は全国のNHKテレビ、ラジオに流れる。「冷静に、訓練通りに」と言い聞かせて実況を始めた。

 岩手県釜石市の港の映像に、目に見えて変化が表れたのは午後3時14分ごろ。静かに津波が入り込む。

 「海水があふれています。波が押し寄せています」

 横尾さんは「津波」という言葉を使うのをためらった。高い波が襲う過去の津波の映像とかけ離れていたためだ。

 気象庁は予想される津波の高さを「宮城県10メートル以上」に引き上げるなど情報を更新。大きな余震が起こり、東京のスタジオが激しく揺れた。

 横尾さんは再び映し出された釜石港の映像に目を疑う。車がプカプカと水に浮き、波がしぶきを上げて道路や建物をのみ込んでいく。「早く安全な高台に避難してください」。想定を超える事態を前に、横尾さんは繰り返すほかなかった。 ◇「犠牲者の多くは、もしかしたら…」

 翌日以降、死者・行方不明者は増え続け、発生4日後には1万人を超えた。

 「この多くは、もしかしたら放送で救えた命なんじゃないか」。ニュースで犠牲者の数を読み上げながら、横尾さんは自責の念に駆られていく。

 宮城県は前任地。取材で知り合った人も多かった。岩手・宮城内陸地震(08年)などを経験し、住民の防災意識が強いと感じていた。「逃げているはず」との願いは届かなかった。

 ある新聞記事をお守りのように持ち歩いた。携帯電話のワンセグ放送を見て、警察官が電車の乗客を高台に誘導したことを伝えていた。「届いた人もいる」。心のよりどころにした。

 横尾さんは全国のNHKアナウンサーを集めた会議を主導。「罪滅ぼし」のような思いで、災害時に呼びかける言葉のマニュアル改定につなげた。「今すぐ可能な限り高いところに逃げること」。普段は冷静なアナウンサーが声を張り上げ、命令口調を取り入れて危機感を伝えるものだ。

 今年元日、能登半島地震が発生。気象庁は東日本大震災以来となる大津波警報を発表した。横尾さんらが手がけたマニュアルを基に、NHKの緊急報道が展開された。

 「阪神・淡路大震災を経験した兵庫は、経験のない地域より強いはず。でも、東北もそうだった」と横尾さんは話す。「油断せず、いざという時に行動する意識を持ってほしい。自分や家族の命を守るために」

初動報道を自ら考察、「思った以上に人は動かない」

 横尾泰輔さんは自らの初動対応に向き合うため、東日本大震災の5年後、大阪放送局時代に京都大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)の協力を得て1本の研究論文をまとめた。

 「東日本大震災の初動報道に関する当事者分析 キャスター自身による分析・調査と実践的考察」。宮城県名取市と岩手県釜石市で、震災時にNHKの放送をテレビやラジオで視聴・聴取していた30人に当日の行動を聞き取った。

 研究を通じ、「思った以上に人は動かないと分かった」という。「宮城県に大津波警報」と聞いても範囲が広く、県南部に位置する名取市の住民は自分の地域との認識が薄かった。釜石市では部屋着のまま、靴も履かずに亡くなった人がいたと聞いた。

 「自分は大丈夫」という意識から、どう抜け出させるか。市町村名や地域の目印などのローカル情報を盛り込み、「まずは玄関から出る」「1メートルでも高い場所に逃げる」とできる取り組みから促す。「それが次の行動に結びつき、命を守ることにつながる」と話す。

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