経験生かし、能登へ恩返し 支援の東北自治体職員 東日本大震災、11日で13年

元日の震災直後からの活動について語る藤原さん=福島県南相馬市役所

 2011年の東日本大震災を経験した東北の自治体職員が、13年前に受けた支援の「恩返し」と、能登半島地震の被災地で、復旧復興のサポートに尽力している。未曽有の被害から立ち上がった経験を基にアドバイスを送り、能登の大きな力となっている。東日本大震災から13年となる11日を前に、能登で活動した福島県南相馬市と岩手県の職員が、支援の思いを語った。(北國新聞社編集委員・坂内良明)

  ●2日出発「人ごとじゃない」 

  ●南相馬・藤原さん、七尾市本部に飛び入り 

 1月1日午後4時10分の地震直後、南相馬市危機管理課長の藤原央行(なかゆき)さん(49)は、当番の職員に登庁を指示した。1時間後、3人が参集した。

 「3.11」の後、長期にわたり支援を受けた自治体のリストを、藤原さんは持ち歩いている。その中に七尾市の名がある。

 きっかけは、2009年に七尾市の能登演劇堂で行われた無名塾ロングラン公演「マクベス」だ。千年続く伝統行事「相馬野間追(のまおい)」で名高い南相馬の市民団体が、公演に馬を提供した。これをきっかけに11年の震災後、七尾市は南相馬市に物資提供や職員派遣を続け、深い縁ができた。

 元日の夜、藤原さんは情報を収集しながら、七尾市に電話をかけ続けた。電話はつながらず、「大変な状況だ」と判断して、水やブルーシートを手配した。

 2日午後、藤原さんら3人は南相馬を出発。3日午前に七尾市役所に到着すると、市災害対策本部の会議にオブザーバー参加した。「経験のない震災で、職員は丸2日寝ておらず、疲れきっていた。話し合いになっていない部分もあった」

 藤原さんは、今後見込まれる業務を書き出し、メモを職員に渡した。「口頭で言っても、疲れすぎていて記憶に残らないと思った」

 藤原さんら先遣隊の後、2月14日まで、南相馬市からの職員派遣は続いた。七尾市とは協定を結んでいるわけではないが、藤原さんは「人ごとじゃなかった。被災経験があるから、独自に支援する必要があると感じた」と述べた。

  ●仮設建設「知見伝えたい」

  ●岩手県・廣瀬さん、輪島に大槌のノウハウ

 岩手県建築住宅課主査の廣瀬栄司さん(46)は1月15日から2週間、輪島市の仮設住宅建設を支援した。寒さ対策など住宅の仕様確認や、建設候補地の調査、工事の進捗管理に携わった。

 高齢者の多い能登では、仮設入居者の見守りが大事になる。東北では、玄関が向かい合わせになるよう住戸を配置して交流を促す「ケアゾーン」を設けた。その情報を石川県に提供し、能登でも採用されることになった。

 廣瀬さんによると、仮設住宅では、地権者への土地の返却まで見据える必要がある。岩手では、「原状復帰」のイメージが地権者と行政で食い違い、苦労するケースもあったという。

 その経験を基に、廣瀬さんは「着工前に多くの写真を撮影しておくこと、撤去や復旧の図面も描いて地権者に確認してもらうこと」を石川県に助言した。

 2011年の震災後、廣瀬さんは沿岸部の大槌町の仮設住宅建設に従事した。その際は全国から支援があったとし「ぜひ恩返しを、との思いで私たちの経験を伝えた」と話した。

仮設住宅の住戸配置を説明する廣瀬さん=盛岡市の岩手県庁

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