京アニ事件の被害女性、生存率5%からの生還 熱傷専門医ら20回の手術で救う 兵庫県災害医療センター

2人の重症熱傷患者の治療に追われた日々を振り返る松山重成さん。パソコン画面の赤丸は京アニ事件の被害女性の手術日、青丸は事件前から入院していた男性患者の手術日を表す=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県災害医療センター

 1人の患者の死が、1人の患者を生かす。1人の患者の生が、別の患者の命を支える-。医療の現場ではしばしば人間の命が綾をなす。2019年7月18日、京都市伏見区で発生した京都アニメーション放火殺人事件では、全身の94%にやけど(熱傷)を負った30代女性が奇跡的に命をつないだ。生還の背景にはさまざまな偶然が重なり合っていた。(田中伸明)

 兵庫県災害医療センター(HEMC)=神戸市中央区=に搬送されてきた女性は、胸と下腹部、足の裏を除き、全身に深いやけどを負っていた。推定救命率は5%以下。松山重成副センター長兼救急部長(58)は「その時点では被害の全体像が分からず、もし他に助かる可能性の高い重症患者がいたら、その人を受け入れた方がいいのでは、と悩むほど厳しい状況だった」と振り返る。

 豊富な治療経験を持ち、日本熱傷学会の評議員を務める松山さんだが、90%を超える広範囲熱傷の患者を救った経験はなかった。すぐさま複数の主治医によるチームを組み、24時間体制で診療に当たった。5カ月近い入院期間中、皮膚の除去や移植などの手術は計20回に及び、松山さん自身も執刀した。

 「女性を救えたことは、医師人生で忘れられない出来事になりましたね」。私がそう尋ねると松山さんは絶句し、目頭を押さえた。ややあって予想外の答えが返ってきた。「亡くなられた患者の方が忘れられないものです」

 松山さんらが総力戦で女性を救った背景には、十数年前にやけどで命を落とした男性患者への思いが隠されていた。

### ■最悪の経過

 男性は松山さんと同い年で、子どもの年齢も同じ。自分の人生と重ね、家族に「絶対に助けます」と告げたという。「そんなことは普通言わないものですけどね」と松山さん。「でも人ごととは思えなかった」

 男性は労災で全身の四十数%にやけどを負っていた。一般的に、やけどの面積(%)と年齢を足した「熱傷予後指数」が100を超すと、生存率は50%を切るとされる。男性の指数は100未満で、重症ながら助かる可能性の方が高いはずだった。

 しかし、経過は最悪をたどる。細菌感染による敗血症を繰り返し、次第に体力が奪われていった。救急部長への昇任を控えていた松山さんが、主治医として最後の死亡診断書を書いたのがこの男性だった。

 それ以来、松山さんはやけどの治療成績向上を使命に掲げ、エキスパートが集まる研究会に参加して教えを乞うた。日本有数の実績を誇る中京病院(名古屋市)に若い医師を派遣し、最新の技術を持ち帰った。HEMCは次第に、関西のトップランナーと認められるようになった。

 「もともとやけどの治療は嫌いでした」と松山さん。重症の患者はなかなか良くならない。皮膚を移植してもすぐに感染を起こすため、何度も除去して移植し直す必要がある。

 救急科の医師がやりがいを感じる仕事に、例えば交通事故による出血多量の患者の治療がある。損傷した部位を特定し緊急手術で原因を除けば、患者は劇的に回復する。

 「交通事故の患者の手術がすぐに結果の出る狩猟とすると、やけどの治療は農業です。治すには時間と根気が要る」。年齢と経験を重ねるにつれ、松山さんは『農業』にやりがいを感じるようになったという。 ### ■名指しで搬送

 京アニ事件で全身の94%にやけどを負った女性は当初、京都の病院に搬送された。HEMCの実績を知る関係者が、松山さんを名指しして受け入れを要望した。信頼の証だ。女性は事件の日の夜、到着した。

 「何としてもこの患者を助けよう」。松山さんはメンバーにハッパを掛けた。

 女性の治療は、傷んだ皮膚の除去手術から始まった。細菌感染を防ぐためだ。最初の1週間に3回手術し、全て取り除いた。

 続いて皮膚の移植手術に移る。

 移植に使う皮膚は、①動物のタンパク質から作られた人工真皮、②亡くなった第三者から提供された死体皮膚、③自身の皮膚、④自身の皮膚を培養して大きくした培養表皮-の4種類がある。女性にはやけどを免れた皮膚がわずかしかなかったため、治療の初期は①の人工真皮と②の死体皮膚を中心に移植した。

 結果的に、細菌感染を起こしにくい死体皮膚をふんだんに使えたことが救命の決め手になったという。感染の兆候があれば、すぐに除去して新たに移植した。「女性は敗血症を一度も起こさなかった。医学的にはこれが大きかった」

 死体皮膚は「日本スキンバンクネットワーク」(東京)が冷凍保存しているが、近年は提供が少なくストックが底をつく状態が続いている。しかし、女性の治療には求めるがままに送ってくれたという。

 研究会などで顔なじみになったエキスパートたちも、女性を気にかけていた。「どんな方法を使ってでも助けよう」と励まし、手術方法などを助言してくれた。遠方から来院し、手術に立ち会ってくれた同志もいた。

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