被災地で出会った僧侶、人生変えた 仏門の道志し13年 菊池雄大さん(青森・大間町) #知り続ける

「13年前に出会った僧侶のように、困っている人に寄り添う僧侶になりたい」と話す菊池さん=大間町の「おおま宿坊 普賢院」

 東日本大震災で多くの人の人生が変わった。青森県大間町で「おおま宿坊 普賢院(ふげんいん)」を営む菊池雄大さん(34)もその一人。震災直後、被災地で人びとの声に耳を傾ける僧侶の姿に感銘を受け、仏門の道を歩むことを決めた。今、宿坊で悩みを持つ人の相談に応じている。「ありがたいと言われる僧侶になりたい。悩みを抱える人の最後のとりでになりたい」。そう語る菊池さんの脳裏には、13年前の記憶が刻まれている。

 菊池さんは大間町の寺院「福蔵寺」の次男として生まれた。将来、家を継ぎ仏道を歩むことは考えず、甲子園出場を目指し、駒大苫小牧高(北海道)で野球に明け暮れた。東京の大学に進学し、自分は何をすべきか、何に向いているのか自問した。飲食店、フードデリバリー、解体業など20のアルバイトを経験しながら、起業する人生設計を描いていた。

 2011年3月11日、菊池さんが大学3年の時、地下鉄の電車の中ですさまじい揺れに襲われた。自宅に戻り、テレビに映されたのは東北地方の惨状。すぐに東北を目指した。関西空港経由で函館空港に向かい、フェリーで大間へ。実家で食料、水、酒などを調達して軽ライトバンに詰め込み、地図を見ながら南下した。「同じ東北の人の手助けになれれば」という一心だった。

 宮城県に入ったのは同15日。不気味な静けさが広がる荒涼とした地で、避難所に物資を届ける作業を続けた。宮城県女川町の避難所で70代ぐらいの男性僧侶の姿が目に入った。

 「大丈夫か」「元気か」。泥で汚れた法衣を身に着け、無精ひげを生やした僧侶が避難者一人一人に語りかけ、励ましている。聞くと、その僧侶も、家も家財も家族も流されたという。

 「自分の人生を生きていくだけでもつらいのに、なぜ他人の人生の苦しみや悲しみに寄り添おうとするのだろうか」。菊池さんはそう疑問に思うと同時に、その献身的な姿に心が動かされた。その僧侶に後光が差しているような気がして、思わず手を合わせた。菊池さんの生きる道が定まった瞬間だった。

 13年から2年間、曹洞宗永平寺(福井県)で修行。函館の寺院に勤めた後、福蔵寺の別院「普賢院」の院代となった。福蔵寺住職の父が、管理に手が回らなかった別院の改修を進め、宿泊施設などを整備。18年4月、宿泊しながら説法、祈禱(きとう)などを受けられる「おおま宿坊 普賢院」としてスタートさせた。学生時代のアルバイト経験、永平寺での厳しい修行が寺院運営に役立った。

 宿坊では1日1組に限って宿泊客を受け入れる。相談者の悩みはさまざまだ。生きづらさを感じ自ら命を絶つことを考えている人、不登校の子を待つ親、震災で大切な人を失った人…。自殺した子どもを自ら発見し抱き上げた父親は、子どもを助けられなかった自責の念にかられていた。

 菊池さんはじっと相談者の話を聞き、少しだけ自身の意見を添える。帰り際に、相談者が穏やかな表情を見せるとほっとする。

 人生を変えたあの震災から13年。当時の記憶をたどり菊池さんは語る。「あの光景、あの独特のにおい、多くの亡きがらは忘れられない。あの時出会った僧侶の姿、僧侶を志した初心を決して忘れない」

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