ウェブサイト「被爆者の声」 管理人の古川さん死去 証言のネット発信の先駆け 長崎

証言ビデオを編集する難波さん(左)と古川さん=2010年ごろ、東京都中野区、古川さんの当時の事務所(NPO法人「被爆者の声」提供)

 被爆者の証言収集に生涯をささげた元長崎放送記者の故伊藤明彦さんに感銘を受け、証言を公開するウェブサイト「被爆者の声」を管理していた長崎市の古川義久さんが1月26日、口腔(こうくう)がんのため死去した。69歳だった。インターネットで証言を発信する仕組みをつくった先駆けで、古川さん中心だったサイトの行方が案じられていたが、ともにNPO法人を運営してきた仲間が活動を引き継ぐことになった。
 古川さんは東京でコピーライターの仕事をしていた06年、伊藤さんの活動を新聞記事で知り、「生々しい音声証言の迫力に圧倒された」。伊藤さんにネット公開を提案し「被爆者の声」が同年5月、誕生した。

伊藤さんが撮影した被爆者の映像テープ。伊藤さんの手書きで氏名や被爆当時の年齢などが記されている

 古川さんらは、閲覧者が音声の文字起こしに参加できる仕組みを導入するなど工夫して順次、公開。それまでCDを寄贈した図書館など公開の場が限られていたが、ネットでの反響に手応えを感じた伊藤さんは同年秋、ビデオカメラで被爆証言の収録を開始。約2年3カ月かけ、349人分を撮影した。
 収録に協力したのが東京の映像制作会社社長、難波稔典さん(57)。伊藤さんの生き方に引かれ、取材していた。伊藤さんが死去した09年、古川さんらはNPO法人「被爆者の声」を設立。古川さんが理事長、難波さんは理事(後に副理事長)に就き、伊藤さんが残したビデオ映像を編集、ユーチューブで発信した。
 古川さんは11年、古里長崎市に戻った後もウェブサイトの管理のほか、長崎メディア・平和講座「伝えんば」で被爆者らの講話を撮影し、ネットで公開するなど「発信」する活動に携わった。2年前、口腔がんが見つかり、入退院を繰り返していた。この間、伊藤さんの著書を題材にした講談師の新作制作に協力。伊藤さんの生きざまを伝える活動に尽くした。
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 古川さんの訃報を知り、難波さんは今月15日、同法人理事で元長崎放送記者の関口達夫さん(73)と同市内の古川さん宅を訪問。保管されていた被爆証言の映像テープなどを遺族から託された。難波さんは「被爆者がいなくなる中で記録として残すことは重要」と話し、未公開分の編集作業を続け、映像テープの保存の在り方やデジタルアーカイブ化を検討する考え。

伊藤さんが撮影した被爆者の映像テープを確認する関口さん(左)と難波さん=長崎市内の古川さん宅

◎伊藤明彦さん

 長崎放送入社後の1968年、被爆者が体験を語るラジオ番組を開始。70年に退職後、個人で全国の被爆者約2千人を訪ね歩き、1003人分の音声証言を収録した。CDなどに収めて全国の図書館などに寄贈。2008年、吉川英治文化賞を受賞。09年、72歳で死去。284人分の音声証言と265人分の映像証言はウェブサイト「被爆者の声」で視聴できる。

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