「時代とともに自分の思い出がここにある」岡山市民会館最後の日 市民が別れ惜しむ中 約60年の歴史に幕【岡山】

3月31日、60年の歴史に幕を下ろした岡山市民会館。閉館記念式典には多くの人々が訪れ、長年、市民に愛されてきたホールに最後の別れを告げました。

3月31日、岡山市民会館が最後の日を迎えました。

(来場者)「時代とともに自分の思い出が一緒にここにあるので寂しいです」

(来場者)「私、市民会館と同じ昭和38年の生まれで、きょうどうしても最後の一日をここで過ごしたくて」

特徴的な正八角形の構造に備前焼を思わせるタイル張りの外観。

岡山市民会館は日本の建築音響工学の先駆け佐藤武夫氏の設計によるものです。高度経済成長期の1963年。市民が芸術に身近に触れられる場として誕生して以来、有名ミュージシャンのコンサートから児童生徒の発表会や成人式・結婚式まで、人々の人生の節目を飾ってきました。

市民と共に移り行く時代を歩んだ60年間。

来場者の中には、当時の建設担当者の姿も。

(市民会館の建設担当者)「市民会館を建設する時に私が担当していた。音響効果に非常に力を入れた。60何年前ですから、もう思い出があって、きょう懐かしい気持ちです」

学生時代、市民会館でミュージカルの舞台に立ち演技の道に進んだ女性も。

(舞台に立ったことがある人)
「お客さんがすごい近いので、本当にお客さんと一体となったミュージカルが出来るなっていう印象が強いです。私も思い出がすごいあるので本当に寂しいです、なくなっちゃうのが」

閉館記念式典では、何度もこの舞台に立ってきた南こうせつさん、森山良子さんがビデオレターで想い出を語りました。

(南こうせつさん)
「ドキドキしながらこのホールに向かって行った時に、すごい大勢の人が並んでて」「神田川で売れたあとだったものですから、いっぱいのお客さんで、熱く岡山のみなさまと燃えた記憶があります」

そして迎えたフィナーレ。

開館以降、それぞれの時代で流行した曲を地元アーティストたちが奏で、来場者とともに60年の歴史を振り返りました。

解体工事は今年の秋以降、およそ2年間をかけて行われる予定で、芝生を活用した公園などの案が出されています。今は、解体の時を静かに持つ岡山市民会館。芸術・文化振興の役目はすでに開館している「岡山芸術創造劇場ハレノワ」などに引き継がれます。

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