《語る 星野富弘さん》(中)子どもたち 実は寂しいんじゃないかな 上毛新聞 2003年1月掲載

星野富弘さんの行動半径は意外に広い。好きなのはめん類。車に乗せてもらい、食べに出る

 星野さんはけがをした時、中学校の体育の先生だった。器械体操が得意で、大学を出たばかりの星野さんは、子どもたちに人気があった。ところが、学校の体育館で宙返りに失敗し、一瞬にして体の自由を奪われてしまう。九年間の病院生活。どうして…と心の中で叫んでも、手足は二度と動かなかった。こうなると、身の回りの世話はすべて人に頼まなければならない。

 自分の意思を伝えるのは、思った以上に難しい。例えば、頭がかゆいとする。しかし、頭のどこがかゆいのか、右、左、上、下…と言ってもなかなかかゆいところをかいてもらえない。そのもどかしさ。しかも、あまり長時間しゃべっていると、最初に言ったことを忘れられてしまう。文学青年だったとはいえない星野さんが、やさしい表現で人の心に染み入る詩を書けるようになったのは、的確に分かりやすい言葉を使う訓練した成果でもある。

 非行、いじめ、不登校、学級崩壊、援助交際。星野さんは最近の子どもたちの置かれている環境を憂える。そして社会に欠けているのはコミュニケーション、言葉によって伝えることだ、と自らの体験から考えている。

 子どもたちの問題いっぱい出てますけど、子どもたちばっかり責められないと思うんですよね。一番はやっぱり人間同士のコミュニケーションのなさっていうか、家の中もそうでしょ。それぞれが豊かになっちゃいましたよね。みんな助け合わなくても生活できちゃうような、そういう世の中になってきちゃって、それが原因じゃないかな。貧しければみんなで分け合って食べなければならない。みんなで助け合って生活しなけりゃならない。そういうことがなくなっちゃった。 遊びでもそう。なんでも好きなもの手に入るわけです。人に借りたり、仕事して小遣いためて買うとかしないですよ。だから、お互い話し合うとか、助け合うとか、譲り合うとか、補い合うとか、そういうこと必要ない。その中で、子どもたちは一見幸せそうに見えて実は寂しいんじゃないですかねえ。いつも一人でいるようで、本当の意味で友達がいなくて…。やっぱり人間にとって一番寂しいのは人から注目されないことですよ。

 体の自由が利かない星野さんは一人では生きていけない。家族の協力、特に妻の支えは作品を仕上げるうえで欠かせない。絵筆に絵の具をつけて星野さんに渡す。どれだけ水を含ませるか。その加減は微妙だ。星野さんは絵筆を口にくわえているのでしゃべれない。あうんの呼吸というか、無言のコミュニケーションがないと作業ははかどらない。午前中に描き、午後は散歩をしたり、手紙を読む。一枚の作品が一週間ほどで出来上がる。

 もちろん、だれだってけがをしたくはないですよねえ。だけど、けがをして命が助かって、せっかく人にはできない経験をしたんですから…。本当にけがを与えられたんだと思います。それを大事に大事にしていきたいなあ。一見その人にとってマイナスな状態になっても、その分だけ、与えられるものもいっぱいあるって言いたい。けがのおかげで、それまで考えられなかった人生、まったく違う人生を歩めるようになったんです。

© 株式会社上毛新聞社