「希望のある大船渡」に向けて若者たちがまちの将来を語るイベントを開催 復興したまちを発信するのも役割の一つ 岩手【復興への羅針盤】

岩手県大船渡市で20代から30代までの若者たちが交流イベントを行いました。まちの未来を考えるキックオフイベントで「未来に希望を持てるまち」を目指す第一歩を踏み出ました。

5月4日、大船渡市の商業施設・キャッセン大船渡でまちの未来を考える交流イベント「アラサーOfunato」が行われました。参加したのは大船渡市出身者を中心に、移住者も含めた20代から30代までの12人です。

(新沼滉さん)
「最初は大船渡もっとこうなったらいいなあみたいな、そういうテ
ーマで」

屋台を囲んで飲食しながら語り合うのは「大船渡」をどのようにしたいのか、どんなまちになってほしいかです。

(参加者)
「海、いいらしいよ。外から来る人」「そうなんだ、海いいんだ」「海、いいって言う」

(移住者)
「乾燥ワカメしか食べたことなかったのがこっち来て生のワカメ初めていただいた時にワカメってこんなおいしかったんだって思ってびっくりして」

参加者たちが口々に語るのは大船渡の海や海産物の魅力。まちの持つポテンシャルを再確認しながら交流は進められました。このイベントを企画したのは大船渡市日頃市町出身で現在は盛岡市に住む新沼滉(ひかる)さん(28)です。地元を離れた新沼さんでしたが、大船渡の現状と未来に不安を抱くようになりました。

(新沼滉さん)
「やっぱり人口が減少して進学を機に地元を離れた人材っていうのが、中々戻ってこないっていうところ。そういう状況にある。それに付随する地域の課題が続々とと生じてしまっているところを肌で感じました」

東日本大震災の発生当時、新沼さんは中学3年生で震災の影響により高校の入学式は半月ほど遅くなりました。自宅は内陸部のため震災による直接的な被害はありませんでしたが、大船渡町にある母親の実家が津波により流失しました。子どもの頃よく遊びに行っていた街並みも失われてしまいました。

(新沼滉さん)
「もう・・・どうしようもないなって思いました。無くなったんだなっていう事実、受け入れるしかなかったですね」

進学や就職のために大船渡を離れたとはいえ、新沼さんの地元を思う気持ちに変わりはありませんでした。就職してから7年。新沼さんは大船渡のまちづくりに関心を持つようになりました。

(新沼滉さん)
「若い人材が大船渡になかなか関われていないっていうところを問題意識を持ちまして」

去年、大船渡で行われたまちを盛り上げるアイデアを発表するイベントに参加したことが今回の開催のきっかけとなりました。

また、新沼さんは今年2月に能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市を訪問しました。被災を経験した大船渡の人間として伝えたいことがあったからです。

(新沼滉さん)
「住民のみなさんはやっぱり希望を見出せていない状況というのが正直な感想でした。いろんな支援が全国から気持ちが届いてそれがどんどん形になって10年後こういう形になるんだってところを伝えたいですね」

新沼さんは「復興したまち」という希望の姿を発信することも大船渡の役割のひとつだと考えています。

(新沼滉さん)
「若い世代が地元を盛り上げる活動に関わるきっかけっていうのがなかなかないと思ったので自分事として参加しやすい機会を作ろうと考えました」

復興したまちを若い世代が盛り上げていくための第一歩が今回のイベントです。

(大船渡出身仙台在住)
「いろんな魅力って外に出てから気づくことがすごく多かったので。会社の同期が関東とか首都圏のあんまりこっちに馴染みのない子が多いのでいっぱい連れて来ていろいろな魅力をちゃんと自分が伝えていかなきゃいけないなと。あまり大きいことはできないけど」

(大船渡在住)
「私は消防職員なので何かやりたいことって言われるとやはり防災関係を元に例えば救助だったりそういう面を含めたイベントをこの大船渡市発信でやれたらいいなっていうのがひとつ思いがあります」

2時間ほどの交流を通して大船渡の魅力発信や防災に関するイベントなどいろいろなアイデアが出てきました。

(新沼滉さん)
「まず第一歩ですね。これに関わる人を少しずつ増やしていって、これに関わるアクションを少しずつ増やしていければいいのかなと思いますね」

その先にある大船渡の未来を新沼さんは次のように語ります。

(新沼滉さん)
「住んでいる人がが希望を持って明るい未来を描けるような。そういうふ
うに生き生きとした人が増えるような大船渡になればいいなと思いますね」

若者たちが踏み出した第一歩は「希望のある大船渡」を目指して進み続けます。

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