裁判員制度15年目「死刑」めぐる“情報の乏しさ”変わらず 「自分が殺した」苦悩する経験者も

法務省への要請書提出後に会見に臨んだ裁判員経験者ら(5月20日 東京都内/弁護士JP編集部)

裁判員経験者が5月20日、法務大臣に対し「死刑執行の停止」等を求めた要請書を提出した。

要請書は、全国の裁判員経験者22名の連名によるもので、①死刑の執行停止、②死刑に関する情報公開、③複層的な国民的議論の3点を求めた。

22人のうち6人が法務省を訪れ、佐藤淳官房長と面会。その後、東京都内で記者会見を開き、改めて死刑制度に関する幅広い情報公開や、議論の必要性を訴えた。

なお、裁判員経験者らは10年前にも同様の要請を行っていたが、「10年間で何も変わらなかった」として、要請書の再提出に至ったという。

死刑判決「情報が少ない中で判断迫られる」

要請書を取りまとめた田口真義さん(40代)は、裁判員になり得る国民の間で死刑についての議論を深める必要があり、そのためには国からの情報公開が必要だと訴える。

「裁判員が評議を行う際であっても、死刑についての説明は『判決確定の日から6か月以内に執行される』(※)ことと、その方法が『絞首刑』であることだけ。死刑に関する情報が圧倒的に少ない中で、裁判員は命にかかわる判断を迫られています。

※刑事訴訟法上、死刑は判決確定から6か月以内に法務大臣が命じることになっているが、現状では再審請求の審査などを理由に執行までに何年もかかっている。

懲役刑の場合、評議室では、情報、証拠、証言を基に綿密に議論して判決を導くんです。一方で、死刑かどうかの判断材料は乏しい。『2人殺してるから死刑だよね』とか、『3人殺してるからもう絶対死刑だよね』というところから始まってるんです。それが本当に死刑の議論の神髄なんでしょうか。

たとえば、死刑判断に関わるような裁判員は、評議に入る前に刑場を見学するといった運用があってもいいと思います。法務省はやたらに公開するものではないと言っていますが、それだけの判断を(裁判員に)させていることを、国や裁判所、司法が考えてほしいです。

死刑というものの実態が知識としてわれわれ国民の中に広がって、議論されてこそ、本当に裁判員制度が根付いたと言えるのではないかと思います」

死刑執行のニュースのたびに「自分の担当した死刑囚ではないか…」

2012年に死刑判決にかかわった佐藤明子さん(仮名・60代)は、「死刑執行のニュースが流れるたびに、自分の担当した事件の死刑確定囚ではないかとドキドキしています」と話す。

その上で、「死刑執行のニュースを見ていても、なぜこの死刑囚(の死刑)が執行されたのか、なんでこういう順番に決まったのかといったことが全く見えてきません。死刑囚の日常とか、何をして暮らしているのか、被害者のことを思っていたのかなども、もっと知りたいと思いました」と要請書に賛同した理由を述べた。

2011年に裁判員となった高橋博信さん(60代)は、成人年齢引き下げにより、18歳であっても死刑判決に関わる可能性があると指摘し、次のように語った。

「極端に言えば、高校生が死刑判決に携わる可能性もあるということ。若い人が死刑判決を下して、執行されることは、(精神的な負荷が)重すぎるんじゃないか。(要請が)いったん執行を停止して、国民全体で立ち止まって死刑について考えるきっかけになればと思います」

『執行された?』ではなく『されちゃった?』

古平衣美さん(50代)は、自身の担当事件は死刑に関わるものではなかったが、「裁判員経験者の会」で知り合った裁判員で、自身が携わった死刑判決が確定・執行された人の言葉が胸に残っているという。

「自分が死刑判決に最後まで反対していたとしても、(他人に)そのことは言えず、“死刑を決めた一人”になってしまう。その方が賛成していたのか反対していたのかはわかりませんが、死刑が執行されたとき『自分が殺した』と思ったそうです。

そして、私自身、裁判員経験者同士で話す際には、『執行された?』ではなく『されちゃった?』という言葉を使っていたことにも気付きました。裁判員経験者にとっては死刑が“自分事”なんです」

「裁判員制度」は5月21日で施行15年を迎えた。最高裁判所によれば、裁判員裁判による死刑判決は制度施行開始から今年2月末までの間で46件に上る。そのうち3件の死刑が執行された。

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