石碑の存在すら話そうとしなかった父 偵察機に3人乗り特攻に出撃…殉職の隊員慰霊 悲劇の現場を遺族が31年ぶり訪問

戦時中、墜落して亡くなった特攻隊員を慰霊する目的で、愛媛県今治市内の山中にひっそりと設けられた石碑。その命日に合わせて、神奈川県に住む遺族の男性が、初めて現場を訪れ花を手向けました。

神奈川県川崎市に住む川橋 善男(よしお)さん、64歳。叔父の圭祐さんの命日に合わせて、今回初めて愛媛県今治市玉川町の墜落現場を訪れました。

川橋 善男さん
「私の母、つまり圭祐の義理の妹になりますけど、ぜひ花を持って行ってほしいということで持ってきました」

終戦間際の1945年5月19日。今治市玉川町の山中に墜落したのは「零式(れいしき)水上偵察機」。東京帝国大学(現:東京大学)法学部に在学中、学徒出陣により駆り出されていた、川橋圭祐さんら搭乗員2人が亡くなりました。

偵察機は、沖縄で特攻隊の任務にあたる予定でしたが、天候不良で取り止めになり、鹿児島から香川の基地へ引き返す途中に墜落しました。

川橋 善男さん
「両親はあまり話したがらなかったので、私も慰霊碑があることすらずっと知らなかったんですよ。最初に知ったのはネットで見て。父は技術者で、大学を出た後もレーダーの研究をしていたので。なので戦争に行っていないけど、弟が行って死んだというのがやはり…。どうなのかな、あまり積極的には話したがらなかったのかもしれないですね」

川橋さんは、市の職員や地元で郷土史を研究する人たちに案内してもらいながら険しい山道を進み、「ハナビラ渓谷」と呼ばれる場所の一角に設けられた慰霊碑にたどり着きました。

事故現場を親族が訪問するのは、31年ぶりということです。

川橋 善男さん
「こんなに秘境だとは思わなかったです。最初に救出に来てくれた人も、本当に大変だったと思います。79年前の人にも感謝したいですし、昭和41年(1966年)に石碑を作ってくれた人、皆さんに本当に感謝しています

登山者が通ることもない山の中にひっそりとたたずむ、特攻隊員を悼む石碑。2年前の取材時、石碑に巻き付けられていた海軍を象徴する旗は、風化したかのように無くなっていました。

この夏、終戦から79年を迎えます。当時を知る人たちが少なくなる中、石碑は、多くの人たちを巻き込んだ戦争という悲劇の実態を継承していくことの大切さと難しさを、今を生きる我々に問いかけています。

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