「声なきに聞き、形なきに見る」精神今も…警視庁設立から150年、初代大警視・川路利良の教えは脈々と受け継がれる

川路大警視の銅像が立つ「川路広場」で教練に取り組む警察官ら=4月30日、東京都府中市の警視庁警察学校

 日本の近代警察の始まりである警視庁は今年、創立150年を迎えた。設立に尽力し、初代大警視(現在の警視総監)に就いたのが薩摩藩出身の川路利良で、「声なきに聞き、形なきに見る」に代表される精神は今も引き継がれている。「教えを胸に首都東京の治安を守り続ける」。警察官らは思いを新たにする。

 4月末、東京都府中市の警視庁警察学校。川路の銅像が立つ校内広場では、入校生90人が警察礼式や規律に従った行動を学ぶ教練に取り組んでいた。「気持ちが一つになってない!」。川路像の隣に設けられた朝礼台から教官の激しい声が飛ぶ。

 このエリアは「川路広場」と呼ばれ、四方が建物に囲まれている。移動の際に横切ったり、歯を見せたりするのは厳禁だ。教練などで足を踏み入れる時は制服の着用が必須で、教官の一人は「警視庁職員にとって神聖な場所」と説明する。

 警察学校が発行する100年誌によると、川路像は警察学校が中野区にあった1965年に完成、彫刻家の故北村西望が手がけた。川路広場という名がついたのは72年。その後、2001年に現在地に移転したが、川路像と広場の名称はそのまま引き継がれた。

 川路は現在の鹿児島市皆与志町に生まれた。明治政府の指示で欧州の警察制度を視察し、帰国後に建議書を提出。1874年1月15日に東京警視庁が創設され、「日本警察の父」とも呼ばれる。西南戦争後の79年に再び欧州に渡ったが、病に倒れ46歳で亡くなった。

 警察政策学会(会長・柳川重規中央大教授)の研究によると、川路の仕事ぶりは「ガバナンス(組織統治)の徹底」が際立っていた。管内幹部を集めた会議を月6回開催したり、昼間の業務に支障がないよう夜間会議にしたりしたという。

 良い警察組織をつくり、良い警察官を育てるのに必死で、厳しい締め付けに離職者が急増したこともあったとされるが、警察史研究部会の関係者は「超人的に真面目だった」と解説する。

 川路は西南戦争で抜刀隊を率いた。「武術を知らぬ警察官ほど物足りないものはあるまい」「一人で剣術も柔術も心得て居らねば実際の役に立たん」などと訓示したとされ、警視庁では「川路大警視の武道観」として継承されている。

 下青木重森警部補(56)=いちき串木野市出身=は、約30年にわたり各警察署で剣道の指導に当たってきた。「自分の身を守れなければ都民の安全も守れない。時代が変わっても、大警視の言葉や精神は生き続けている」と力を込める。

〈別カット〉川路大警視の銅像が立つ「川路広場」で教練に取り組む警察官ら=4月30日、東京都府中市の警視庁警察学校

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