幕府の理不尽に耐え「岐阜のため」…異郷の地で命かけ木曽三川の治水完遂 薩摩義士の遺徳しのぶ慰霊祭に県内外450人集う 鹿児島市

玉串を奉納する参列者=25日、鹿児島市平之町の平田公園

 江戸時代に岐阜・木曽三川の難工事「宝暦治水」を成し遂げた薩摩義士をしのぶ「頌徳(しょうとく)慰霊祭」が25日、鹿児島市平之町の平田公園であった。岐阜県を含む県内外から450人が集い、先人の功績をたたえた。

 工事を指揮した平田靭負(ゆきえ)の命日に合わせて鹿児島県薩摩義士顕彰会が毎年開いていている。

 同会の島津修久会長(86)は「工事完遂は、薩摩藩が誇る優れた土木・測量技術の成果。偉大な功績は末永くこの地の方々を守り続けている」と祭文を読み上げた。岐阜県薩摩義士顕彰協議会の松永清彦会長(77)は「異郷の地で命を落とし幾度の困難を重ねながらも、短期間で難工事を成し遂げ、先祖をお救いくださった」と顕彰の言葉を述べた。

 同県海津市の海津明誠高校2年、谷藍里さんは「理不尽な幕府の命令を受け、岐阜の人たちのために頑張って働いてくれたことを後生に伝えていくことが大切だ」と話した。

玉串を奉納する参列者=25日、鹿児島市平之町の平田公園
演武を披露する東郷示現流の関係者=25日、鹿児島市平之町の平田公園

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