力強い突き押しで白星を積み重ね、土俵を下りれば人懐こい笑顔をみせる。デビュー1年で早くもファンの心をわしづかみにする角界の星はどのように育ったのか。父知幸さん(47)に「最強力士の育て方」を聞いた。(北國新聞社運動部・杉岡憲介)
「泰輝(だいき)の性格を一言で言うと、忍耐強くて熱い男。自分で決断し、道を切り開く姿はわが子ながら尊敬します」。子どもの頃の息子の写真を手に知幸さんは目を細めた。
知幸さんは松陵工(現北陵)高相撲部OBで全国青年大会無差別級で準優勝した実力者。大の里が小1で入った津幡町少年相撲教室では自らまわしを着けて指導した。他の子の手前、わが子に甘くできず、人一倍厳しく接する父に大の里は泣きながら必死に食らいついてきたという。
知幸さんは184センチで、母の朋子さんも165センチ。「小学生で牛丼大盛り3杯食べていた」大の里は同級生より常に頭一つ大きく、相撲でも負け知らず。しかし、小5になるとライバルが力を付けてなかなか勝てなくなり、相撲への情熱が冷めかけたことがあった。
●「もう指導しないで」
その頃、テレビで知ったのが、穴水町出身で新潟・海洋高相撲部に進んだ三輪隼斗さん(ソディック)の活躍だ。全国王者を目指して稽古に励む同郷の先輩の姿は、相撲少年の心に火を付けた。知幸さんから見ても「目の色が変わった」大の里は、三輪さんが相撲留学した糸魚川市の能生(のう)中への進学を決めた。
わが子の決断を尊重し、快く送り出した知幸さんだったが、心配で練習や大会のたびに新潟に駆けつけた。しかし、入学して3カ月ほどたった頃、大の里から「もう僕に相撲の指導はしないで」と言い渡された。
「息子なりの配慮だったのでしょう。私があれこれ言うと中学の指導者がやりにくくなりますから。さみしくもあったけど、自立しようとする姿に胸が熱くなりました」。知幸さんは、その日以来、技術的な指導は一切していないという。
親元を離れ、特訓を積んだ大の里は次第に頭角を現すようになる。中3の8月、北信越大会で優勝すると、翌週の全中で3位に。翌年1月の白鵬杯で全国初制覇した。
新潟・海洋高では高3で十和田大会を制したが、全国優勝は1回のみ。「全国大会で2度以上優勝できたら角界、できなければ進学」との自身の取り決めに従って日体大に進んだ。
●逃げたら上がれん
大相撲で躍動する息子に「私が言うのもなんだけど、貴乃花みたいで骨格がいい。いまだ押されて負けたことがなく、本当にいい相撲を取っている」と相好を崩す。しかし、時には厳しい父の顔をのぞかせる。
「なんで勝てんげんろ」。7月場所で3勝3敗となった大の里は父にラインでメッセージを送った。知幸さんは「スピード出世にこだわらないという(二所ノ関)親方の言葉に逃げとったら、いつまでも上がれんよ」とあえて厳しい言葉を返した。その言葉に奮起したのか、大の里は勝ち越して十両昇進を決めた。
角界に入るとき「関取になるまで帰ってくるな」と送り出した。わずか2場所で関取になり、お盆に帰省した息子に「ちょっと早すぎるんじゃない」と知幸さん。出世街道をひた走る息子を厳しくも温かいまなざしで見守っている。
■大の里 泰輝(おおのさと だいき)
【本名】中村泰輝
【身長・体重】192㌢・176㌔
【得意技】突き、押し、右四つ
【初土俵】2023年夏場所
【相撲を始めた年齢】7歳
【好きな食べ物】魚
【好きな漫画】20世紀少年
【好きなアーティスト】湘南乃風
(日本相撲協会ホームページ参照)
【経歴】津幡町出身 津幡小→新潟・能生中→新潟・海洋高→日体大