第2次鳥取城攻め 秀吉の文書発見 佐治郷宛て「地域の安全保障」 鳥取県・やまびこ館が京都の古書店で購入

羽柴秀吉が佐治郷に発給した安全保証の文書=鳥取市上町、やまびこ館

 戦国時代に鳥取城を攻めた羽柴(豊臣)秀吉が、従う姿勢を示した佐治郷(鳥取市佐治町)の安全を保証した文書が見つかり26日、鳥取市歴史博物館・やまびこ館(同市上町)で公開された。同時期の同様の文書が定型化されており、秀吉の文書作成に対する意識の変化がうかがい知れる。

 公開したのは1581年の第2次鳥取城攻めの際に佐治郷に宛てた文書。秀吉が配下の兵に、佐治郷での乱暴狼藉(ろうぜき)などを禁じたことを伝える。同館が京都の古書店で見つけて購入した。

 鳥取城攻め関連の同様な文書では、80年の第1次鳥取城攻めの際は、弓河内村(同市河原町弓河内)や用瀬郷(同市用瀬町)など地域で内容が違い、従うことへの褒美に触れ、要望などを聞き取り、文書を作ったと考えられる。

 一方、佐治郷宛ての文書と81年に弓河内村に宛てた文書は内容が同じで、宛名と署名を除き定型化していた。秀吉による同様の文書の定型化は82年の高松城(岡山市)攻め時点でも分かっており、今回の発見で、定型化が81年の第2次鳥取城攻め時点にさかのぼるという。

 署名は、80年時点は親しみを感じさせるためか「藤吉郎」と以前の名前なのに対し、81年時点は「筑前守」と官職を記す違いも興味深い。やまびこ館の石井伸宏学芸員は「ある意味、秀吉が尊大になっていく片りんが見える」と分析する。公開は7月7日まで。

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