大の里Vに「二人の兄貴」 中高大で1年先輩、部屋も同じ

  ●パレード旗手・白熊 新十両に昇進・嘉陽 切磋琢磨で精進

 大相撲の小結大の里(津幡町出身、二所ノ関部屋)の「史上最速」での幕内優勝を支えたのは、二人の「兄貴」の存在だった。津幡の小学校を卒業して親元を離れてから、新潟の中学と高校、日体大、角界に入ってからも、常に1学年上の先輩として一緒にいたのが十両白熊(しろくま)と、29日に新十両が決まった嘉陽(かよう)。家族よりも過ごした時間が長い3人は夏場所中も、互いに励まし合いながら15日間を闘い抜いた。(東京支社・森角太地)

 「大の里が優勝したのはうれしかった。自分も頑張らなきゃなと思った」。29日、両国国技館であった新十両会見で嘉陽は、一歩先を行く後輩への思いを語った。

 大の里は石川、白熊は福島、嘉陽は千葉の出身とばらばらの3人は相撲留学で、新潟・能生(のう)中に集まった。海洋高、日体大に進み、入門したのも二所ノ関部屋。大の里の父中村知幸さんも「本当の兄弟のよう」と目を細める。

 夏場所中は連日、取組を終えて部屋に戻ると、一緒に食事を取ったり、銭湯に行ったりして心と体を休めた。

 11日目に大関豊昇龍に敗れた一番の後も、すしを食べて「験直し」。白熊は「僕は通風なんで食えないけど、大の里がめっちゃウニとかマグロを食べていて、いいなあと思って」と笑いながら振り返る。

 白熊はそのとき、大の里が黒星を吹っ切ったのを感じ取ったという。実際、大の里は翌日の12日目から千秋楽まで4連勝で優勝をつかんだ。優勝パレードでは白熊が旗手を務めた。

 嘉陽は場所前の春巡業で大の里の付け人を務め、ともに全国を回った。本来の付け人ではないが、師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)がさまざまな力士と稽古をさせたいとの思いから、嘉陽を参加させた。大の里とともに巡業先で稽古を積んだことで、夏場所では5勝2敗の好成績を収め、関取の座をつかむことにつながった。

 激闘の15日間が終わり、一夜明け会見も済ませた大の里と、白熊、嘉陽は28日にはボーリングに行き、羽を伸ばした。嘉陽は「大の里が一番下手くそだった」といたずらっぽく笑い、まだ20代前半の若者らしい一面をのぞかせた。

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