テニス選手たちの言葉を瞬時に文字に起こす速記者!その道約18年のプロ、リンダさんにインタビュー<SMASH>

開幕を目前に控えた、テニス四大大会「全仏オープン」のプレスルーム――。

会見室には立ち見が出るほど記者が詰めかけ、偉大なる赤土の王、ラファエル・ナダルの到来を待ち構えていた。

ナダルの会見は常に人気ではあるが、今回は趣きが違う。

「恐らくは今年が、ナダルの最後の全仏オープンになる」……そんな予感を皆が共有し、だからこそ、ナダルの言葉を一言も聞き漏らすまいと緊張感を高めていた。

その張り詰めた空気の中、会見室に姿を現したナダルは、ふと視線を上げると笑みを広げ、会見室後方に向けて手を振ったのだ。

その先にいたのは、ガラスを隔てたブースの中で、タイプライターを叩く女性。彼女は、会見で語られる言葉を文字に起こす、会見場の“顔”ともいえる存在だ。

「ラファは本当に素敵な人。今回だけでなく、いつも大会で会うと挨拶をしてくれるの」

リンダ・クリステンセンさんはそう言うと、ナダル同様に、優しい笑みを顔中に広げた。
リンダさん(皆がそう呼ぶように、ここではファーストネームで表記させて頂く)がテニスツアーの最前線で活動し始めたのは、18年前。ナダルが19歳で全仏初制覇を成したのと、ほぼ時を同じくする。以降彼女は、ナダルらが築いたテニス黄金時代を生き、多くの町を旅し、数え切れないほどの会見の席で、選手たちに寄り添うように彼らの言葉を文字に残してきた。

リンダさんに「仕事上の肩書き」を伺うと、「トランスクリプショニスト」、もしくは「ステノグラファー」の答えが返ってきた。「トランスクリプショニスト」は、「Transcript(口述筆記)を作る人」。そして、やや馴染の薄い「ステノグラファー」とは、ギリシャ語から派生した「速記者」を意味するそうだ。

リンダさんは文字起こしをする際、“ステノタイプ”と呼ばれる、速記に特化した特別なタイプライターを使う。ステノタイプは、通常のパソコンなどよりもキーが少ない。ピアノの和音を弾くように複数のキーを同時に押すことで、あらかじめ辞書機能に登録したワードや、センテンスすら瞬時に入力が可能だ。

ステノグラファーとして働くには、特定の訓練を受けた後、職場に応じた所定のテストをパスする必要がある。専門用語等の知識はもちろん、最も重要なのがスピード。

「私は、1分間に260ワードを打つテストをパスしたのよ!」と、リンダさんは胸を張った。 テニスを中心にスポーツ現場で長く働くリンダさんだが、ステノグラファーのキャリアの始まりは、さらに遡る。

「私は最初、法律関係の現場でこの仕事を始めました。裁判では、裁判官に弁護士、原告や被告らの言葉を、逐一全て記録します。さらには証言録取のため、あらゆる法律事務所や病院などに行き、証人の言葉を記録することもしました」

それら法律の職に従事した後、今度は「キャプショニング」へと転向する。これは、聴覚障害を抱える人のため、テレビモニターなどに字幕を表示する仕事。ただ彼女はその中でも、「アカデミックな現場」で働いたという。

「大学に行き、聴覚障害のある学生の隣に座り、講義の内容を全てモニターに表示する仕事をしました。一語も逃すことなく文字にして、学生の“耳”になるんです」
そのような職歴を重ねた後に、ASAP社に移ったのが18年前のこと。ASAP社は、多種多様なスポーツの会見速記を引き受ける企業。テニス部門の拡張に伴い、リンダさんに声が掛った。子どもの頃からテニスが好きだったリンダさんは、喜んで引き受けたという。

「私はテニスが好きだし、旅が好き。それに、言葉を聞くのも好きなんです。世界中、色んな国に行き、色んな国の人たちが語る英語を聞くのが、すごく楽しいんです」

そう笑うリンダさんが、1年で訪れる大会数は、20を超える。取材者たちも多くの会見に参席するが、思えばリンダさんほど多くの大会会場を訪れ、あらゆる選手の会見に立ち会った者は、いないだろう。会見室の一角でステノタイプを叩きながら、彼女は選手の表情を眺め、言葉や声色の変化を感知し、選手の成長を見守ってきた。「ラファは、とても印象に残る選手ですね。最初の頃はあまり英語が話せなかったけれど、どんどん上達して。でも、ケガなどで長く故郷のマヨルカに戻ると、少し後退しちゃったりするんですよ。

面白くて魅力的という意味では、マラト・サフィンは素晴らしかった。あとは、ラトビアのエルネスツ・グルビス。彼はとても頭がよく、鋭かったですね。最近では、アリーナ・サバレンカも魅力的。彼女は時に失言して、自分の発言に自分で笑っちゃったりしています」

思い出深い選手を列挙するリンダさんは、日本の選手と言えば……と、「キミコ・ダテ」の名を口にした。

「キミコが復帰した時は、多くの記者が集まりました。彼女は喋るのが好きで、どの質問にも長く答えていた。特に忘れられないのが、英国のベテラン記者が彼女に、『引退していた間、何をしていのか?』と質問した時。キミコは『最初の年は、こうだった。2年目はこんなことをして……』と、10年くらいを振り返りはじめたの。それをタイプし続ける私は大変! だからその英国記者には、『あなたは金輪際、キミコへの質問は禁止!』って冗談で叱ったのよね」
それら数多の選手の言葉を観察する中で、リンダさんは「1つの傾向を感じている」とも言った。

「やはりどの選手も、ベテランになると人間的に成熟し、周囲の人たちの役割や仕事を知り、メディアの重要性も理解する。だから会見でも、興味深いコメントを残すようになりますね」

それは、会見室の一角で、定点観測のように多くの選手の“言葉”を見てきた彼女だからこそ、知りえる真理だろう。

会見を重ねるたび、選手たちは自らが発する言葉の重みを知り、そこに関わる人々の重要性も理解していく。

もちろん、自分の言葉を形として残してくれる、よく知るその人の大切さも――。

現地取材・文●内田暁

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