安達太良の人(6月2日)

 「日本百名山」の出版に先立つ1960(昭和35)年の晩秋、著者の深田久弥さんは安達太良山に登る。万葉集や高村光太郎の詩にうたわれる文学性に憧れていた。岳温泉の食堂の2代目で安達高山岳部OBの佐藤龍一郎さんと、後に郡山市長を務める藤森英二さんの青年2人が案内した▼中腹のくろがね小屋で温泉に漬かって1泊すると、翌朝は雪。霧にも包まれた中、的確な先導で登頂を果たす。著書「わが愛する山々」につづられている。今、食堂を守る3代目が店先に立てた看板には、同伴した父の誇らしげな山男姿の写真がある▼父子の絆は二本松の酒蔵にも受け継がれている。蔵元の男性は安達太良山の古名にちなむ酒「甑峯[こしきみね]」を背負い、今年も山開きに参加した。亡くなった先代がぜひ、その名を冠した酒を造りたいと願っていた。先代は明治大山岳部で冒険家の植村直己さんの後輩だった。仕上がった酒の味わいは山好きの思いを映し、「晴れた空のよう」とも評される▼あれが阿多多羅山―と、光太郎は妻智恵子の郷里を慈しんだ。名峰がよこすやまびこは、たくさんの面影を乗せてくる。百名山の中でもひときわ輝く光を放って。安達太良山のほんとの空に。<2024.6・2>

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