「ありえない」…海底の岩場は突如むき出しになった。それから、わずか45秒…大水は家になだれ込んだ。「防災袋を手に取る余裕もない」。南海トラフ地震に備え、私たちは石川から何を学ぶ

「津波直前に現れた岩場は現在、干潮時でも海に隠れた状態になっている」と話す出村正幸さん=5月27日、石川県珠洲市三崎町寺家

 能登半島地震で、半島の先端にある石川県珠洲市は最大4メートル超の津波に見舞われた。海沿いに集落が連なる同市三崎町の寺家地区も、家屋の倒壊が相次ぐなど大きな被害を出したが、死者ゼロで済んだ。35世帯約80人の下出集落で暮らす会社員出村正幸さん(48)は間一髪で難を逃れた一人。「『何かあったら集会所』という日頃の備えが奏功した」と振り返り、住民ぐるみの避難対策の重要性を訴える。

 「海の水があり得ないくらい引いた」。出村さんは津波直前の様子を克明に語る。海を望む自宅2階にいた。震度6強の本震は縦揺れに始まり、横揺れも続いた。体感にして約1分。尻もちをつき、本棚は崩れた。灯台近くまで海底があらわになっていた。

 数分前の前震とは全く違う規模の揺れに「みんな反射的に逃げた」。津波への警戒だ。向かう先は海抜24メートルの高台にある集会所。出村さんも車を出そうと、海沿いの県道に面した駐車場へ。しかし、鍵を自宅に忘れ、ドアは開かなかった。

 取りに戻って玄関近くから振り返った瞬間、ゴーッという音とともに、車が10メートル近く流されるのを目の当たりにした。玄関にも海水がなだれ込んだ。写真の撮影記録をたどると、わずか45秒間の出来事。「乗車していたら、やられていた」。足が不自由な近所の40代女性を背負い、水浸しの集落から約100段の階段を上った。本震から30分後、集会所に避難した最後の住民となった。

 住民のうち10人が一人暮らしの下出集落。出村さんによると、近くの神社への初詣客や帰省客を含め住民の多くは本震から10~15分で集会所に着いていた。ルートは三つあり、「避難はもちろん、寄り合いやイベントで『何かあったら集会所』という意識が日頃から根付いていた」と話す。

 きっかけは東日本大震災直前の2011年3月初めにさかのぼる。住民の一人が防災士の資格を取ったのを受け、出村さんの父親で集落区長の正廣さん(76)が「津波の経験はないが、せっかくだから避難に生かそう」と提案。年1回以上の避難訓練で備えていた。

 鹿児島も南海トラフ地震などで津波が懸念され、短時間で到達する恐れもある。出村さんは「防災袋があっても発災時は混乱して手に取る余裕はない」と指摘。「日頃からどこに逃げるか、どのルートを通るかをしっかり把握しておく。発生したら、ただ逃げることだけを考えてほしい」と訴えた。

〈関連〉津波が襲う直前の下出集落前の海。干潮時でも見られないほど海が引き、岩場があらわになった=1月1日、石川県珠洲市三崎町寺家(出村正幸さん提供)
津波が襲う直前の下出集落前の海。干潮時でも見られないほど海が引き、岩場があらわになった=1月1日、石川県珠洲市三崎町寺家(出村正幸さん提供)

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