ブル中野さんWWE殿堂入り受賞式スピーチは全部英語 ライバルのメデューサとは泣きながらハグ

ブル中野さん(提供写真)

【その日その瞬間】

ブル中野さん
(元女子プロレスラー・プロレス解説者/56歳)

1980年代から女子プロレスを牽引したブル中野さん(56)。米メジャー団体WWEで日本人レスラーで5人目、女子では初の殿堂入りを果たした。その瞬間を聞いた。

◇ ◇ ◇

──殿堂入りを聞かされたのはいつですか。

最初に連絡が来たのは1月9日。リモートで話したいと言われましたが、その時は何の話かわからなくて。ただ、引退してから30年が経ってますから、殿堂入りはないなと思ってました。まして試合のオファーはもっとあり得ない(笑)。

なので、ズームでWWEのスタッフ、通訳の方と話した際に殿堂入りを聞かされた瞬間はすごくうれしかったですね。本音を言うと、WWEで激闘を繰り返したメデューサが殿堂入りをしていたので、「もしかしたら私もあるかな」とは思っていましたが、時が経ちすぎた分うれしさ倍増です。

──4月5日のフィラデルフィアの会場での授賞式はどうでしたか。

一番緊張したのは英語のスピーチをあんな大観衆の前で初めて披露したこと。1月に連絡をもらってからは「どんなスピーチにするか」をスタッフと煮詰めていくんですよ。

日本人レスラーの過去のスピーチだと猪木さんは最初に英語で挨拶した後は日本語で話し、アメリカ人が通訳して伝える形で。藤波辰爾さんは全部日本語だったかな。サンダー・ライガーさんはコロナ禍で日本で撮ったVTRを現地で流し、グレート・ムタ(武藤敬司)さんは長くないスピーチにアクションを加えた形。

私は「全部英語のスピーチにしてほしい」と頼まれて驚きましたけど、日本人ではまだ誰もやってないから挑戦だと思い引き受けました。

私が「こういうことをスピーチしたい」と日本語で書いて送ってから、先方から「じゃあ、こういうふうにスピーチしてください」と英語で返ってくるまで1カ月間くらいかかりました。「英語が覚えられないから早めに下さい!」とせかしました(笑)。たぶんスピーチの時間や他の受賞者との兼ね合いなどいろいろあるのかもしれません。

「またブル中野として生まれ変わりたい」がネットニュースで取り上げられましたが、あれは私の本心です。

──WWEで闘った当時のことを振り返って今どう思われますか。

つらいことが多かったですよ。日本と違って、ひとりで行動して、何もかもひとりでやらなきゃいけなかった。でも、アメリカのプロレスは音響や照明など選手を引き立てる演出がすごい! 私の実力よりももっと大きく見せてくれました。そこはすごく感謝。

殿堂入りのセレモニーで、私を紹介するのがライバルだったメデューサでした。メデューサには本番前に「これは私とあなたのラストマッチだ」と英語で話したんです。

「先にあなたはホールド・オブ・フェーム(殿堂入り)をとり、今回私がとれました。これはすべてあなたのおかげです。今日ですべてが完結するね」

そして2人で抱き合いながら泣いて。つらい思いも悔しい思いもハグした瞬間にすべてなくなりました。だから、人生で特別な瞬間はそのハグ。

──偉業なのに、日本ではあまり称えられてない気もします。

「プロレスだから、そんなに騒がれないだろうな」とは思っていました。私がアメリカのリングに出ていた時は、野茂投手のメジャーリーグでの大活躍が日本で取り上げられていて、「野球とプロレスってこんなに違うんだなあ」と思いましたから。今回はわかってくれている人たちが喜んでくださったのがうれしいので「みんな、もっと知ってよ!」という気持ちはないです(笑)。

──これからやりたいことは?

自分のことではないのですが、日本人女子レスラーがアメリカで活躍して、私の次に殿堂入りしてくれるのを願っています。そうすれば女子プロレスの見られ方も変わっていくと思います。自分のことだと、外国で洋館のようなお城を買うこと。小さい頃からの憧れの夢でした。それは難しいですので、日本で洋館のような家を建てたい。

私、家が大好きでずっと家で過ごしたいタイプです。現役時代は時間がなくてかなわなかったのですが、洋館みたいな家で好きなテレビゲームを大画面で一日中やっていたい。

とくにロールプレーイングゲームが好きで、昔のスーパーファミコンの時代から、今の面白いゲームまで全部制覇したらうれしいなと。考えるだけでワクワクします。お城の中でゲーム三昧をいつか実現したいです。

(聞き手=松野大介)

▽本名・青木惠子(あおき・けいこ) 1968年1月、東京都出身。ヒールレスラーとして全日本女子プロレスで人気に。米国でも活躍。2012年に引退後はゴルフ好きやダイエットが話題に。ユーチューブ「ぶるちゃんねる」配信中。

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