大火砕流から33年

 「未(いま)だ曾(かつ)て有らず」(今まで一度もない)を意味する「未曾有(みぞう)」は主に凶事に対して使われる。33年前の紙面をたどれば、5月半ばからの短い間に、未曾有の出来事が次々に起きている▲5月15日、雲仙・普賢岳の麓を流れる水無川で、初めて土石流があり、住民に避難勧告が出された。5月20日には、火口にむくむくと溶岩ドームが現れる▲さらに5月24日朝、火口で溶岩の塊が大きく崩れ落ちた。その崩落は、溶岩のかけらや火山灰などが混ざった「小規模の火砕流」だと直後に分かる。〈一連の噴火では確認されなかった新現象〉と本紙は報じた▲専門家でもない限り、誰も知らなかった「火砕流」の一語が社会を揺るがすことになる。6月3日、その上に「大」の文字が付く惨事が起きた▲山の麓に立ち入りできない区域が設けられたのはそれから数日後で、人々は住まいも農地も働く場も失う。半月ほどの間に、今まで一度もない災害が続いたあと、人々を避難生活が待っていた▲3年後、なおも800世帯が避難していた。10年後、大火砕流で息子を亡くした、当時69歳の女性は「追悼式は悲しい人ばかり。つらくて出席しきらん」と本紙に語っている。43人の命を奪った未曾有の惨事は、長い長い苦難と悲嘆の始まりだったことも胸に刻んでおきたい。(徹)

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