「うやむやにしては…」 小6女児同級生殺害事件から20年 元校長が本を出版 長崎・佐世保

本を出版し、「地域の大人や学校の先生にも読んでほしい」と話す小林さん=佐世保市

 長崎県佐世保市の小6女児同級生殺害事件から6月1日で20年。当時、市教委で小学校担当主幹を務めていた小林庸輔さん(66)は事件直後、現場の市立大久保小に駆けつけた。事件から10年がたった2014年から4年間、大久保小で校長を務め、子どもたちに「命の大切さ」を説き続けた。今年6月、事件から得た教訓などを書き記した本を出版する。

◆混乱
 小林さんは1980年に教員として新規採用され、2002年に佐世保市教委学校教育課に配属。その2年後に事件に直面した。
 2004年6月1日の昼休み。上司から突然、大久保小で子どもが亡くなったことを知らされた。動揺した小林さんが事故かと尋ねると「殺害」だと告げられた。何があったのか。混乱は増すばかりだったが、タクシーに飛び乗り現場に急行した。
 小学校に着くと、正門前には大勢の警察官がいた。その中をくぐり抜け、校長室に向かうと中から一人の少女が出てきた。しばらくして校長に尋ねると先ほどの少女が加害者だと告げられた。擦れ違いざまに見た「平然とした表情に驚きを隠せなかった」。
 殺害現場となった「学習ルーム」へ向かうと複数の警察官が青いビニールシートを運んでいた。中に亡くなった少女が包まれているのでは。思わず手を合わせた。
 6年生への聞き取りや保護者への説明会などに追われ、気が付くと午前0時。「長い一日だった」と小林さんは著書で振り返るが、それは受難の日々の始まりだった。
 翌日以降も保護者への説明や現場の教職員のサポート、記者会見、報道各社からの昼夜を問わない取材に翻弄(ほんろう)された。慌ただしい日々が続いたが、徐々に事件の要因が浮かび上がり、三つの教訓を得た。心の教育のさらなる充実、コミュニケーション能力の向上、子どもの居場所づくり-。小林さんはこれらを次の環境で実行していった。

◆大久保小へ異動を希望
 事件翌年、小林さんは佐世保市立柚木小の校長に就任した。着任時、「学校は荒れていた」と語る。「大久保小以外でも、大なり小なり問題が起こっていたに違いない」。3年間、生徒と全力で向き合い、時にはぶつかりながらも、「いのちの教育」を推し進めていった。
 それでも事件後、「何か宿題をやり残したような気持ち」を抱えたままだった。定年まで4年となり、「骨をうずめるつもりで」大久保小への異動を希望し、14年に校長として赴任した。

佐世保市立大久保小で授業をする小林さん=2017年9月13日(小林さん提供)

 ちょうど事件から10年の年。6月1日の「いのちを見つめる集会」には多くの報道関係者が集まった。「マスコミは(集会で)事件の詳細について触れたかどうかにこだわって報道するが、第一は子どもがどう感じるか。命の重みを伝えてきた」。集会は事件後、毎年開かれてきた。10年がたち、もう開かなくてもいいのではないかという意見もあった。だが、被害に遭った少女ら、同校で過去に亡くなった子どもたちの冥福を祈るためとして、開催し続けることにこだわった。

◆風化を防ぐ
 大久保小で4年間校長を務めて定年退職した。執筆を始めたのは4年ほど前。年月の経過とともに「うやむやにしてはいけない」と、3年かけて完成させた。「事件の風化と、事件から得られた教訓の風化を防ぐため出版する。明日を生きる子どもたちへのメッセージだ」。本を出す意義をこう語る。「14年時の小学6年生は今22歳になる年。当時、子どもたちに伝えきれなかった内容に、今こそ触れてほしい」
 今年の6月1日は例年通り、自宅で祈りをささげるつもりだ。「過去も大切だけど、これからを明るくするのが一番。加害者の元少女は被害者の命をしのびながら元気に生きていってほしい」

 本のタイトルは「明日を生きる子どもたちへ~『小6女児同級生殺害事件』の教訓を生かした『いのちの教育』とは~」。B6判。192ページ。1100円(消費税込み)。6月2日発行。佐世保市内の書店などで販売する。

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