「記憶喪失と記憶障害は別のもの」 ドラマ「アンメット」原作者の元脳外科医が語る脳と記憶の関係

事故で脳に損傷を負い、記憶障害の後遺症がある川内ミヤビ役の杉咲花さん【写真提供:カンテレ】

日常生活を送るうえで、物事をスムーズに運ぶのに無意識に活用しているさまざまな記憶。改めて考えてみると、記憶とはいったいなんなのでしょうか。そんな脳と記憶について知ることができる、ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」。「Hint-Pot」編集部では前後編にて、原作者で元脳外科医の子鹿ゆずる先生と、ドラマを手がける関西テレビの米田孝プロデューサーにお話を聞きました。後編では、子鹿先生に脳と記憶について教えていただきます。

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「曖昧な理解で、混同されている」

4月にスタートしたドラマでは、偶然にも記憶を失った人物がいくつもの作品で登場し、話題になっています。ただ、脳の専門家である子鹿先生によると「記憶喪失と記憶障害は、まったくメカニズムが違う」のだそう。

「曖昧な理解で、混同されている記事などもありますよね。記憶喪失というのは、医学的には全生活史健忘といって解離症状のひとつ。記憶障害は脳の一部である海馬(かいば)が損傷して、記憶の保持ができなくなった状態で、明確に別のものなんですよ」

記憶喪失の人は仮に記憶が回復できなくても、その後、起きたことは記憶できます。しかし、たとえばドラマの主人公・川内ミヤビは記憶障害によって、今日の記憶を明日以降に維持することができません。

過去の記憶を失う状態は一見同じように思えるものの、ミヤビのような記憶障害では新しい記憶ができないので、記憶喪失とは大きな違いがあるといえます。

後遺症を抱えながらも明るく前向きなミヤビと働く仲間たち【写真提供:カンテレ】

脳が記憶するメカニズム アルツハイマーの人が昔のことは覚えているワケ

日常生活で意識することはありませんが、脳が記憶するというのは、どういうメカニズムなのでしょうか。

「医学的には2通りの分類があります。ひとつはプロセスの分類で、入力して、保持して、出力する。専門用語では入力を符号化、保持を貯蔵、出力を想起――この一連が記憶です。単に貯めておく部分だけではなく、このプロセスのどこが機能しなくなっても、記憶障害になります。

もうひとつは、覚えている内容によっての分類で、宣言的記憶と非宣言的記憶。宣言的記憶は別名で陳述記憶ともいい、『昨日友達と銀座に行った』とか、『日本の首都は東京です』といった言葉にできる記憶です。そのうち『昨日友達と銀座に行った』というような5W1Hで表す記憶をエピソード記憶といい、これを記憶する場所が海馬になります。

ただ、海馬には2年間しか記憶がとどまっていなくて、それ以上、覚えていることになったら、今度は大脳に貯蔵する場所が移るんです。だから海馬が損傷した場合、過去2年間のエピソード記憶は消えるけれど、それ以前に大脳に移った記憶は残っている状態になります。アルツハイマーで海馬が委縮する人も、同様の記憶障害。ついさっきのことは忘れてしまうのに、昔のことは覚えていられるのは、そうした脳の仕組みによるものです」

さらに、非宣言記憶はまた別の場所に記憶されると、子鹿先生は解説します。

「非宣言記憶というのは、『自転車ってどうやったら乗れますか』など、言葉だけでは説明できないことの記憶です。自転車の乗り方のようなものは、たとえば小脳や、解剖学的にいうと大脳基底核(だいのうきていかく)といった場所に記憶されます」

三瓶は医師として論理的にミヤビが脳外科医として働けるよう導いていく【写真提供:カンテレ】

「記憶がなくても技術は上達する」 その意味とは

ドラマの1話で、若葉竜也さん演じる天才脳外科医・三瓶友治が、杉咲花さん演じるミヤビは「手術ができます」と論理的に説明するため、鏡映描写法というテストを行います。このテストは繰り返すことで上達するもので、ミヤビはテストを受けたことは忘れますが、回を重ねるごとに上達。この結果を通じて三瓶は、ミヤビが「記憶がなくても技術は上達する」と証明してみせました。

記憶障害により、自転車に乗ったことがある記憶を失った人でも、以前、自転車に乗れていたならば自転車に乗れます。それは海馬とは別の場所に、自転車に乗る技術が記憶されているからです。さらに記憶障害になってからも、練習したこと自体は忘れても、練習で身につけた技術は非宣言記憶として刻まれていきます。

「脳に障害を負ったら、日常が断たれてしまうと感じるかもしれません。でも周囲が状況を正しく理解し、適切な対応ができれば、本人は能力を最大限発揮することができるのです。記憶障害のミヤビが、脳外科医として働き続けるというのは、一見あり得ない設定に見えるかもしれませんが、医学的なロジックに基づいて作られています。

三瓶がミヤビに“記憶がなくても、脳外科医として手術ができる”とこだわり、精神論ではなく論理的に導いているのは、そうした医学的なロジックによるもの。

身体の障害だけでなく、知的障害や発達障害といった人たちも、周囲が正しく理解し、それぞれの状況に合わせて適切に対応できれば、みんなが能力を発揮して活躍できる……。そういったメッセージを込めて、作品を描いています」

記憶障害を抱えながら脳外科医として生きるミヤビ【写真提供:カンテレ】

記憶がなくても、その人らしく生きられる

記憶障害の後遺症を抱えるミヤビは、「私はまだ、医者なのだろうか」という葛藤を抱えていました。記憶を失い日常の連続性が断たれることは、人間関係など社会生活を送るうえで困難があるだけでなく、“自分らしさ”をも揺るがすかもしれません。

「そこは、この作品が問いかけていることのひとつですね。記憶がなければ、その人らしさは失われると考えるかもしれませんが、僕は『本当にそうなのか? 記憶がなくたって、その人らしくいられるんじゃないの』と思っています。

三瓶がミヤビに『強い感情は残ります』と言いますが、海馬の損傷でエピソード記憶を失っても、脳内のほかの場所で感情や潜在意識はちゃんと働いています。心の話をすると、喜怒哀楽だけが感情ではなく、心はもっと広い概念です。お腹がすいたらイライラするし、嫌なことがあっても、やけ食いをしたら幸せになるとか(笑)。記憶がなくても、幸せな心はあるし、瞬間瞬間で立派な人格でいることができます。

言い方を変えると、記憶は“単なる記憶でしかない”ということ。脳に障害を負って、記憶を失ったり、何かができなくなったりすることがあるかもしれません。でも歩けなくなった人が、車椅子を使うのが当たり前のように、本人の努力だけじゃなく、周りの理解やサポートがあれば、その人らしく生きることはできるはず。記憶は確かに大事だけれど、人間はもっと奥深い。人の人間性や“らしさ”に、記憶があるか、ないかは関係ないと思いますね」

◇ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」番組概要
原作:子鹿ゆずる(原作)・大槻閑人(漫画)「アンメット-ある脳外科医の日記-」(講談社「モーニング」連載)
出演:杉咲花、若葉竜也、岡山天音、生田絵梨花、山谷花純、尾崎匠海(INI)、中村里帆、安井順平、野呂佳代、千葉雄大、小市慢太郎、酒向芳、吉瀬美智子、井浦新
放送日時:カンテレ・フジテレビ系列 毎週月曜日22:00~22:54
配信:カンテレドーガ、TVerにて最新話を無料配信。FOD、ネットフリックスにて最新話まで全話配信
制作著作:カンテレ
制作協力:MMJ

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