名前を変えても問題は変わらない「国民スポーツ大会(国スポ)」大会存続の是非は【徳島】

「国民スポーツ大会(国スポ)」、かつての国民体育大会は、戦後、国民の間へのスポーツの浸透と国民の体力向上を目的に、1946年にスタートしました。

2024年で78回目を迎える歴史ある大会ですが、今、その開催方法や存続の是非をめぐって様々な議論が沸き起こっています。

国民スポーツ大会は今後どうあるべきなのか、運営側、そしてアスリート側、それぞれの立場から大会存続の是非も含めて話を聞きました。

運営側の考えは...徳島県スポーツ振興課に聞く

(徳島県スポーツ振興課 青木秀夫課長)

「国スポについては、例年都道府県の持ち回りで開催されている。2035年に持ち回り開催の3巡目を迎えることで、それに合わせて関係者の方々から様々な意見が出ているという状況です。やはり開催県、開催地での負担が非常に大きいと。それが人的な面であったり、事務的な面であるとか財政的な面、これが非常に負担が大きい」

直近10年間の「国スポ」では、大会の定める基準をクリアできる施設を整備するためなどの理由で、1回の大会における開催県の負担額はほとんどが100億円を超えています。

にもかかわらず国からの補助金は、一部を除き5億円程度しかありません。

(徳島県スポーツ振興課 青木秀夫課長)

「本県のスポーツ施設についても整備後30年、それ以上経っている施設もありまして、長寿命化といいますか、維持管理にかかる経費というのは当然発生していると思います。今現在、近年開催されているほかの国体を開催したところにおいても、維持管理というのは非常に負担になっていることも聞いているので。開催県の負担というものは、やはり軽減していく必要があると思います。ただ、『国スポ』を目指す選手の方々もいるということも考えますと、いかに持続可能な、そして選手ファーストの視点に立った大会の見直し、これが進んでいくことを期待したいと考えています」

アスリート側の考えは...多くの国体で活躍した選手に聞く

一方、アスリートから見たこの大会はどういったものなのか。

東四国国体をはじめ多くの国体で活躍し、現在は高校の教諭として後進の育成にあたる豊永陽子さんに聞きました。

(生光学園高校 豊永陽子教諭)

「若い子は中学生から、社会人までが一つの大会に出場するというのはこの『国スポ』、国体しかないと思います。中学生や高校生が、社会人や大学生を見て私たちも強くなりたいと感じる、本当にきっかけの大会でもあるのかなと思います。社会人にとっては、全国大会というのがとても少ないです。その中で、春の日本選手権、それから秋の国体、この大きな大会というのを失うということはやっぱり社会人にとっても活躍する場面を失うということもあり、やっぱり考えていかなければいけないのじゃないかなと思います」

「国スポ」の良さの一つに、野球やサッカーなどメジャーな競技だけでなく、普段、目にする機会の少ない競技にも光があたることがあげられます。

そうした競技の選手にとって、「国スポ」は貴重な大会です。

(生光学園高校 豊永陽子教諭)

「自分たちが一生懸命頑張って、『国体』のために本当に努力して1年間頑張ってというような機会というのを、本当に1つでもおいてほしいという思いがありますね」

豊永さんは、国体での経験が競技者としての成長に繋がったと話します。

次の時代を担うアスリートたちにとって、『国スポ』はどうあるべきなのでしょうか?

(生光学園高校 豊永陽子教諭)

「何を主とするかというのを、やっぱり考えていかないと。選手のための国体なのか、地域のための国体なのか、『国スポ』という国がするための国体なのかというところで、いろいろ考えなければなと思います。私たちは選手を主に考えていただけるのであれば、やはり競技会を本当に無事にできるような環境作りをしていただければ、それだけでいいかなと思います」

多くのアスリートにとって、『国スポ』への出場はいまだ大きな目標です。

しかし開催費は巨額な上、国民の関心が薄れてきているのも事実です。

名前を変えただけでは何も変わらない。

運営、アスリート、双方が臨む大会へ再生への議論が期待されます。

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