ぱーてぃーちゃん信子「33億円御殿」自慢の父親は伝説のヤクザ!「徳川家康の末裔」説、実家の“兄”は初耳だった

グラビアにも挑戦し「美ボディ」も話題のぱーてぃーちゃん信子

「ウチのお父さん、勘当されたの1回。徳川家から放り出されたけど、自力でカネ貯めて、33億の家を建てたからね」

少し煽り気味に話す、お笑いトリオ・ぱーてぃーちゃんの信子(31)の発言を聞いて、スタジオは「スゲェ!」と驚嘆した。5月4日に放送された『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)でのことだ。

そんな自慢話をテレビで繰り広げる信子とは――。お笑いライターが解説する。

「今年ブレイクしている芸人、ぱーてぃーちゃんのなかでも、下ネタ好きで“ぶっちゃけキャラ”の信子は、特にテレビで引っ張りだこ。『美女芸人』としてグラビアにも挑戦しました。

『徳川家の末裔』を自称していて、ふだんとのギャップがおもしろい“お金持ち芸人”としても知られています。『33億円御殿』のトークは、彼女の鉄板ネタなんです」

だが、信子の実家について知る関係者は、こんな隠された真相を明かすのだ。

「父親は、かつて大阪に存在した暴力団『信貴組』組長の故・信貴久治(しぎ・ひさじ)氏なんです。

信子はテレビで実家のエピソードを話していますが、そのことにはいっさいふれていません。しかし、本人も父親が誰かをわかったうえで、暴力団組長だったと認識していました」

信貴氏について、いくつかの資料が残っている。大阪府堺市でのキャバレー、風俗店経営で富を築いた後、「泉州の角栄」を目指して、1976年の衆議院選挙に出馬するも落選。

さらに選挙買収が発覚し、公選法違反で逮捕される。その実刑判決を最高裁まで争い、刑が確定した後の収監直前に姿をくらまし、1996年に大分県内で確保されるまで約3年間の逃亡生活をしていた。

まるで、昭和の任侠映画さながらの暴れっぷりは「伝説のヤクザ」というべき人物だ。

堺市生まれ、大分県大分市育ちを公言する信子と信貴氏の経歴はぴったり合致する。そして、自慢の「33億円御殿」は堺市に実在していた。

近隣住民は当時のことをこう話す。

「御殿の近くに行くと“黒服”が何人もいて、近所でも『あそこはヤクザだよ』と有名でしたよ。昔は夜になると、屋敷を派手にライトアップしていたこともあった。33億円かはわからんが、『外壁だけで3億円』とは言っていたなぁ」

長年、堺市内でクラブを営むママはこう話す。

「久治さんはヤクザだけど、気風のいい人でしたよ。遊び人でもありましたけど……。『徳川家の末裔だ』とも話していましたね。彼のキャバレーが開店したとき、『信貴御殿』の写真と自分の顔写真が印刷された紙とお皿を配っていました。羽振りがよかったんですよ」

だが、信貴氏の会社は約350億円の負債を抱えて、1991年に倒産。「信貴御殿」は競売にかけられた。現在は改装されて、寺院として現存している。

今回、許可を得て取材したが、武家屋敷のような外装に反して、御殿内の階段などは洋館のような装飾が施されていた。

堺市内にあった信貴氏の実家を訪ねると、信子にとって“40歳上の兄”にあたる信貴氏の長男から話が聞けた。

「信子さんが父・久治の娘だとは知っています。しかし、芸能人だとは初耳でした。約15年前に父が大分で亡くなり、葬儀のときに信子さんとは会ったきりです。

父のことは、あまり話したくありません。彼女が芸能人なら、マイナスになると思いますから」

念のため長男に「徳川家」の由緒について尋ねたが……。

「信貴家が徳川家の末裔という話は聞いたことがないです。まあ、信子さんがそう言っているなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか」

もちろん、父の経歴と信子の今の芸能活動になんの関係もない。ただ、実家トークについて、どう考えているのか。

所属事務所から、こう回答があった。

「父の死後に『本人(信子)が生まれる30年以上前まで、暴力団組長だったらしい』という話は聞いたことはありますが、相当な過去のことですし、両親が離婚し、母親に引き取られていたので、トークでふれる必要はないと思っています。

父の仕事は不動産経営だと聞かされており、選挙買収や逃亡、倒産などはまったく把握しておりません。

本人は『徳川家の末裔だ』と聞いておりますし、家系図や家紋なども見たことがあります」

エピソードトークの真相が想定以上だなんて、ダメなんだぜ!

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