「分娩まひ」で右手がまひしている、6人の子どものママ。抱っこできない、おむつが替えられない、でも8人家族はとっても幸せ【体験談】

6人の子どもたちと明るい家庭を築いているSUZUさん。休みの日は家族で公園に遊びに行くことも。

似顔絵作家SUZUさん(30歳)は、30年前に自身が生まれたときの分娩まひで、右手が動きません。SUZUさんは現在6人の子の母親ですが、子どもの安全を守ることを考え、4人目以降は帝王切開で出産しました。それでも産後は「もう少し頑張ればよかったかもしれない」という思いに悩まされたそうです。子育てに忙しい日々についても聞きました。
全3回のインタビューの2回目です。

出生体重4980g。出生時のトラブルで右腕が動かない体に。18歳で結婚し、今は6人の子どもの母に【体験談】

高校を中退し、18歳で結婚。子どもはたくさん欲しいと思っていた

3歳のころのSUZUさん。まだ自身の障害について理解はしていないけれど、右手があがらず、使える左手で「3歳」を表現。

――現在6人の子の母親であるSUZUさんですが、夫さんとの出会いを教えてください。

SUZUさん(以下敬称略) 私が高校1年生のとき、母が体調を崩して倒れてしまいました。仕事ができる状態ではなかったので、私も自立しようと17歳で高校を退学し、コンビニでアルバイトをしていました。夫はバイト先の先輩の友だちで、一緒に遊ぶ機会が多かったんです。だんだん親しくなり、電話などで話すうちに「この人だったら大丈夫だ」と思ったんです。それで、私のほうから積極的にアプローチをしました。

夫からしても、すごく頼ってきて、好き!と言ってくる私が気になる存在になっていったようです。交際が始まり3カ月くらいでアパートを借りて同せいを始めました。結婚したのは私が18歳、夫が20歳のときです。1年後には第1子が生まれました。今年は結婚13年目です。

――夫さんのどんなところが魅力だったのでしょうか?

SUZU 2歳年上で頼れるところです。彼も、右手が思うように動かない私を何かと気にかけてくれました。いつも私のことを考えてくれているのが、優しくてすてきだと思いました。

――13年間の結婚生活はいかがですか?

SUZU 結婚してからあっという間に時間がたちました。今でも夫とはすごく仲がいいです。夫は仕事が終わると「今から帰る」と電話をくれるんです。職場から家まで車で30分くらいです。その間、夫は電話をスピーカーにして毎日ずっと話をしています。

――6人の子どもがいるとのことですが、年齢と性別を教えてもらえますか?

SUZU 小学6年生の長女、小学4年生の二女、小学3年生の三女、5歳の長男、4歳の二男、生後4カ月の四女です。私自身も6人きょうだいですが、姉、姉、姉、兄、兄、私と性別の順番も一緒なんです。

――夫婦2人とも最初から子どもはたくさん欲しいと考えていたのでしょうか?

SUZU そうです。私が6人きょうだいだったので、子どもは多いほうがいいなと思っていました。夫は一人っ子ですが、やっぱり同じ考えでした。

第四子から帝王切開に。子どもの健康を思ったものの、産後は後悔も

2023年11月には第6子が誕生しました。忙しいけれど楽しい毎日です。

――6人の子どもたちの出産はいかがでしたか?

SUZU 最初の3人は経腟分娩で、4人目から帝王切開での出産になりました。5人目、6人目も帝王切開です。

4人目のときは、陣痛が2~3日続きました。1分間隔で陣痛があっても、なかなか出てこなかったんです。この子は、おなかにいるときから、「大きい子かもしれない」と言われていました。胎児が大きいと、出産時、トラブルに見舞われる可能性があります。私自身も4980gで生まれ、出生の途中で母の体に右腕がひっかかってしまいました。そのせいで分娩まひとなり、右腕が動かなくなりました。

経腟分娩にこだわって、子どもに私と同じように障害が残ってしまうのは絶対に嫌でした。安全と健康を優先し、帝王切開で出産することにしました。4人目の長男は3600gで無事に生まれてきました。
そのときは帝王切開に対するためらいはまったくありませんでした。

――SUZUさん自身の分娩まひが、帝王切開の選択につながったのですね。

SUZU そうです。ところが、産後はホルモンバランスが不安定になったためか、帝王切開で産んだことをとても後悔してしまったんです。「もうちょっと頑張れたんじゃないかな」と考えてしまって・・・。帝王切開は決して楽なものではありません。産後の回復も遅いし、手術で切ったところも痛いです。それに、その後の出産回数も制限されてしまいます。まだ若かったから、もう少し子どもをたくさん産めたかもしれないなというようなことも思ってしまいました。

当時は落ちこんでいたのですが、夫にもじっくり話を聞いてもらい、子どものお世話をしているうちに「経腟分娩でも帝王切開でも子どもが安全に生まれてくれたらどちらでもいい」と思うようになりました。

いろいろ調べてみたら、理由はさまざまでありながら帝王切開で出産したママたちは、私と同じように「経腟分娩で産めばよかった」とモヤモヤしてしまう人が多いように感じました。
でも経腟分娩で、私のようにまひが残ってしまう場合もあります。だから、帝王切開を選んだママたちには「赤ちゃんと自分の健康を守った、正しい選択だったんだよ」と伝えたいです。

右腕が使えない育児は大変なことがたくさん。夫のサポートに支えられる毎日

育児と仕事を両立できるのは、夫さんのサポートのおかげだとSUZUさんは言います。

――SUZUさんは右腕が動かせないとのことですが、家事はどのようにされていますか?

SUZU 家事は腕の上げ下ろしをする食器洗いや洗濯物干しがあまりうまくできません。皿洗いは小さいお皿や箸だったら洗えるのですが、鍋や大きいお皿は何度も割ってしまっています。

洗濯物を干すのも短時間なら工夫をしてなんとかなりますが、右腕を少し使うと力がまったく入らなくなり、震えが止まらなくなるんです。だから、障害支援のヘルパーさんが1週間に3回か4回、1日2時間程度来てくれるので、そのときにお願いしています。

――育児で苦労したところはありますか?

SUZU 抱っこができないのが大変です。座ってひざの上にひじを乗せ、そこに赤ちゃんの頭を乗せてトントンとすることはできます。でも、立って抱っこするのは、赤ちゃんを支えられないから難しいです。赤ちゃんが泣いたとき、立って抱っこしたほうが落ち着く子が多いと思うのですが、私はそれができないから苦労しました。

おむつ替えも難しかったです。本当に小さいときはまだいいのですが、成長してきて足の力が強くなってくると、うんちをふこうとしても抑えられないんです。赤ちゃんが動くからうんちまみれになってしまいました。だから、汚れたらおふろでシャワーで流すようにしていました。外出先でうんちをされるのが一番困りました。だから、赤ちゃん連れのときはなるべく1人で外出しないように、だれか一緒についてもらったりしていました。

家事も育児も、夫には本当に助けてもらっています。料理も夫に担当してくれています。以前、私が料理をしたときに右手を切ってしまって・・・。右手の感覚がないから、痛くもないし、どれくらい切れたかわからなかったんです。念のため病院に行ったら4~5針縫うことになりました。
それ以来「料理はしなくていい」と言われています。夫の助けがなかったら、生活が立ち行かなくなるくらいです。本当に感謝しています。

子育てで1日はあっという間。忙しいけれど幸せなのは子どもたちのおかげ

似顔絵作家として活躍するSUZUさん。自身のお店で。

――子どもが6人いて大変なことはありますか?

SUZU やっぱり全部大変です。いくら片づけをしても終わらないし、けんかもするし、上の子たちは落ち着いてきたかと思ったら反抗期にも入ってきたし・・・。小さいときはお世話で大変だったけれど、成長したらその時々での育児の悩みが出てくると思います。

――逆に、子どもがたくさんいてよかったな、幸せだなと思うのはどんなときですか?

SUZU それはもう毎日です。子どもたちがいてくれるから、なんでも頑張れるし「本当に幸せだな」としみじみ感じられます。「子どもたちの将来が楽しみでしかたがないね」と夫ともよく話しています。大きくなったらみんなでボーリングしようねとか、カラオケに行こうなどと家族で話をしていると、ワクワクします。にぎやかに過ごしていると、あっという間に時間が過ぎていきます。

お話・写真提供/SUZUさん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部

「帝王切開でも経腟分娩でも、子どもを産むのは大変なこと。親子が安全に、健康でいることが一番大切」というSUZUさんの言葉が印象的でした。6人の子どもたちに囲まれて、楽しそうな毎日が想像できます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年5月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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