バルサ寄りのメディアに見て取れる複雑な感情…宿敵マドリーの15回目のCL制覇を彼らはどう報じたか「まるで意味が分からない」「もう受け入れるしかない」

レアル・マドリーの15回目のチャンピオンズリーグ(CL)制覇で、今シーズンの欧州クラブシーンは幕を閉じた。過去11年で6度目、1997‐1998シーズン以来、CL決勝9連勝と驚異的な数字を残しているが、この破竹の快進撃を、苦虫をかみつぶすような思いで見ていたのが、他でもないバルセロニスタだ。

バルセロナ寄りのスポーツ紙のひとつ、『ムンド・デポルティボ』の編集長を務めるサンティ・ノジャ氏もそのひとりで、試合直後に配信されたコラムからは、ジャーナリストとしての立ち位置を保とうとしながらも、そこかしこに複雑な感情が見て取れた。
「ほぼいつものこと」という見出しのついたその記事では、「まずは15回目のCL制覇を祝福しなければならない」と称えながらも、重要なターニングポイントとして、今シーズンの準決勝セカンドレグの終了間際に生まれたバイエルンの“幻のゴール”を指摘することを忘れなかった。

決勝で善戦を見せたドルトムントについては、これまでマドリーの軍門に降ってきた多くのチームと同じように、何度か脅かす攻撃を見せつつも決定打に欠けるという“典型的なグッドルーザー”を演じるにとどまったことを論じ、最後に「今シーズンのCLは女子がバルサ、男子はマドリーの優勝で終わった。ここ最近の傾向を考えると、予想通りの結果だ」と女子チームの功績を強調した。 マドリーの理屈で説明のつかない強さを、これまた苦虫をかみつぶすような思いで綴ったのが、もうひとつのバルサ寄りのスポーツ紙『スポルト』のセルヒオ・ロドリゲス・ヴィニャス記者だ。

「マドリーは長い間、消費され、考察され、楽しみ、苦しむ対象になってきた。各自がどのように向き合うかはその人の好み次第だが、ひとつ確かなのは、説明の対象にはならないことだ。いや、それにトライする価値すら無意味なのかもしれない。マドリーはまるで意味が分からない。それが私から彼らに送ることができる最大級の賛辞だ。もう受け入れるしかないのだ。それが、マドリーの栄光が何年も何十年も続いている理由を見つけられないでいる自分を、無知だと思い込む苛立ちに陥らないための処方箋にもなる。マドリーは神のようなもので、信じるか信じないかはあなた次第だが、その存在を裏付ける合理的な論拠はない」

バルセロニスタとして知られる作家のウーゴ・スコッシア氏に至っては、『スポルト』紙に寄せたコラムの中で、その諦めの境地を「マドリーの決勝戦を観戦するのはマゾヒストになること」と表現している。
つい数年前まで、バルセロニスタの間では、リオネル・メッシという不世出の天才を擁しながら、CLの通算優勝回数において、マドリーに迫ることができなかったことに対する自責の念が広がっていた。そしてメッシの退団を境に、その差はさらに拡大している。

「マドリーがCLで強さを誇ったのは、まだテレビが白黒だった時代のこと」という言いがかりも、優勝回数がカラーになってからのほうが上回るに至り、まるで通用しなくなってしまった。バルサは先週、ハンジ・フリックの新監督就任を発表したが、これもCL決勝に臨むマドリーへの当て馬だったというのがもっぱらの噂だ。しかしCL制覇後のキリアン・エムバペの入団発表で、いまやそのニュースも随分と霞んでしまった。

行き場のない鬱憤は、ついには「内容よりも結果を重んじるスタイルに舵を切るべき」と、伝統のDNAを巡る論争にまで発展する始末だ。バルセロニスタにとって我慢の日々が続いている。

文●下村正幸

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