米澤和昭さん(富士見が丘) 54歳、最後の挑戦 FD(フリーダイビング)日本代表で世界へ 横浜市都筑区

練習は国際プールでも行われる=本人提供

区内富士見が丘でダイビングスクールを営む米澤和昭さん(54)=中面、人物風土記で紹介=が、6月21日からリトアニア・カウナスで開催される「AIDAフリーダイビング世界選手権2024」に日本代表の一人として出場する。今回が3度目の代表選出となる米澤さんは、「選手として最高のステージに立てることに感謝し、今の最大限のパフォーマンスを発揮でききたら」と笑顔で抱負を語った。

2種目で出場

フリーダイビングは、スキューバダイビングのように酸素タンクなどの器材を使わないダイビングのこと。無呼吸状態で到達深度や潜水距離などを競う。競技は海洋とプールとがあり、今回の大会はプールでの競技。米澤さんは息止めの長さを競う「スタティックアプネア」、と潜水距離を競う「ダイナミック」のうち、足ひれ(フィン)を使わない「ウィズアウトフィン=ノーフィン」の2種目で代表に選ばれた。

日本代表には、過去2年間の公式大会におけるベスト記録に応じて選出される。今大会は男女各4種目に、計17人が日本代表に選ばれた。

米澤さんの代表選出は2020年、22年に次いで3度目。20年は新型コロナの流行で中止に。ブルガリアで行われた22年は、3種目で日本代表に選ばれた。ダイナミックで両足にフィンをつける「バイフィン」では、自己ベストを記録したが、ノーフィンでは気絶寸前まで我慢してしまい失格になってしまった。「震えが止まらず、吐き気がするくらいの緊張に襲われた。気が付いたら大会が終わっていた」と当時を振り返る。

日本代表では最高齢の米澤さん。「初出場の選手もいるので、サッカー日本代表の長友(佑都)選手のようにメンタル面で若い人をカバーができれば」と気負いなく語る。

「恐らく最後。楽しみたい」

米澤さんがダイビングを始めたのは大学生のころ。友人に誘われ、石垣島での体験ダイビングに参加した。「目の前に5mはあろかというマンタが現れ」(米澤さん)、一気に心を奪われた。

就職後は、週末を利用してダイビングを楽しんでいた。経験を重ね、技術力が上がってくるとインストラクターの資格を取得。週末はインストラクターとしてダイビングを教える「二刀流」の生活を続けていた。

インストラクターの仕事は「準備や後片付けなどに時間がかかり、本業がおろそかになってしまう」こと、一方、指導することで喜んでもらったり、感謝されることによる充足感などから、「好きなことを仕事にする楽しさ」から37歳で独立を決めた。

フリーダイビングを始めたのは10年ほど前から。スキンダイビング(素潜り)を教えることもあり、「安全管理上、知っていた方が」との思いで勉強を始めた。

指導を受けたのは沖縄でダイビングスクールを営む篠宮龍三氏。篠宮氏は日本人初のプロフリーダイバーで、海洋で潜水115mのアジア記録を持つ「憧れの人」(米澤さん)だった。

大会には国内を中心に仕事が落ち着く秋から春にかけて年3〜5回出場。現在は息どめで約6分、潜水(ノーフィン)で約110mの自己記録を持つ。

11月で55歳になる米澤さん。日本代表での試合は今回が「おそらく最後」と話す。大会について、ベストを尽くす一方で「雰囲気を楽しみたい」とも語った。

できるだけ抵抗を少なくし呼吸が続く間、最小限の動きで距離を稼ぐ競技「ダイナミック」=本人提供

© 株式会社タウンニュース社