「日本人はあまりに落ち着いているところがある」“ペップの右腕”リージョの指導に感じた選手との距離感「ベンチの顔色を伺うようでは高いレベルでプレーできない」【コラム】

「シャビ、イニエスタ、メッシ・・・こうした選手たちがいなかったら、私はここまで成功を収めていなかっただろう」

バルサでの最強時代を、ジョゼップ・グアルディオラ監督(現在はマンチェスター・シティ)はそう振り返っている。それは謙遜でもなんでもない。本心であり、揺るぎない事実である。

グアルディオラはその現実をしっかりと承知していたからこそ、今も名将たり得るのである。

「選手ありき」

それが絶対的なサッカー界の真実である。監督の領分が、選手の領分を越えるなどあり得ない。尊大なふるまいをする指揮官は、その行いを即刻、改めるべきだろう。

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「監督の幸せ? それはあまりない(笑)。だって、自分はずっと選手になりたかったし、いまもその思いは残っているから。(ラ・リーガの)サラマンカで(最年少監督として1部に)昇格した時でさえも、自分が選手としてプレーすることのほうに幸せはあった。今でも、選手たちに嫉妬する(笑)。彼らがいいプレーをするのが幸せだよ」

これは、グアルディオラの右腕であるファン・マヌエル・リージョの言葉だが、プレーヤーズファーストの精神が伝わってくる。

「選手はそれぞれ違う。人によっては“目覚め”が遅い場合もある。キャラクターやポジションによっても、ね。だから、私は選手を挑発する。とくに後ろの選手はおとなしくしていてはいけない。特に日本人はあまりに落ち着いているところがあるから」

リージョはそう語っていたが、選手との距離感のディテールにリスペクトが見えた。たとえば選手との挨拶で、わざと肩をぶつけ、足を踏んづける。コミュニケーションのひとつで、外国人指導者はしばしばやるのだが、あえて挑発し、覚醒を促すのだ。

「フットボールでは、選手自らが考えて、決定を下さないといけない。試合中、ベンチの顔色を伺うような選手は高いレベルではプレーできないだろう。我々指導者はトレーニングで強度や質を高め、修正し続けるだけだ」

リージョの言葉は本質を突いていた。今シーズンもプレミアリーグを制覇したシティの選手たちが、成長を続けているのは必然なのだ。

「(指導者は)なぜそれをするのか、ということを、とことん選手に説明し、納得してもらわないといけない。たとえば、リトリートひとつをとっても、下がるのが遅すぎても、早く下がりすぎても効果は出ないんだよ。ポゼッションにしても、日本では“常に選手同士が近づいて”というのが基本になっているが、そんな定義はない。プレーの意味を、ひとつひとつ考え、決定することが大事だ」

リスペクトが自立を促し、選手は殻を破る。指導者はそういう環境を作ることが仕事なのだ。

文●小宮良之

【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。

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