鈴木孝彦、ミニ・アルバム『血流』発売 HIROMI SAEKI&Saburo Tanookaインタビュー公開も

ピアニストの鈴木孝彦が、初のミニ・アルバム『血流』を6月19日(水)にリリース。

本作には一気に血液が全身を駆け巡るようなタイトル曲「血流」の他、氷点下26度の北海道名寄市で書いた「ピヤシリの風」など、選りすぐりの5曲を収録。

また、同作と同じレーベル「GardenNotes Music」から4月に1stアルバム『When The Moon Shines Upon Us』をリリースしたHIROMI SAEKIと、ヒーリング・アルバム『NEO HEALING』をリリースしたSaburo Tanookaのインタビューが公開されています。

[HIROMI SAEKI インタビュー]
――1、これまでの経歴、活動についてお聞かせください。
京都出身で4歳よりピアノを、6歳よりエレクトーン、7歳より作曲を始めました。
19歳の時にピアノの恩師に「演奏に歌心をつけて更に磨きをかけるため。歌を習ってみては?」と勧められて古谷充氏を紹介され、ジャズボーカルに出会いました。
同志社大学在学中より、京阪神で演奏活動を開始。既に著名なプレーヤーと共演する機会に恵まれ、どんどんとジャズの魅力に引き込まれていきました。
本場のジャズに触れてみたくなり、93年に単身渡米し、師事したSheila Jordanが教えているCity College of New York(ニューヨーク市立大学)に入学することを勧められ、オーディションを通過して芸術学部音楽専攻ジャズ科に入学し、Ron Carterを始めとする素晴らしい教授陣からジャズを学びました。
ニューヨークではBlue NoteやBirdlandなど、歴史あるジャズクラブのステージを経験し、ハーレムの教会でゴスペル隊員を10年以上務めました。
コロナ禍を機に日本での演奏活動の場を拡げ始め、現在は日本とニューヨークを数ヶ月ごとに行き来しながら、日本での活動に力を入れています。

――2、今回の作品制作に至った経緯をお聞かせください。
かねてより何か作品を作りたいと考えていましたが、明確な構想がなかなか浮かばず悩んでいた時に、日本在住のピアニストDavid Bryantと出会いました。共演したところ、あまりの素晴らしさに驚愕し、絶対にDavidとの作品を作りたい!と切望するようになりました。彼とのライブのために作り始めたスタンダート曲のアレンジが、アルバムに出来るくらい貯まってきたので、レコーディングでの共演を依頼しました。
エンジニアはニューヨーク在住、グラミー賞受賞経験もあるAkihiro Nishimura にお願いすると決めていたため、レコーディングはニューヨークで行わなくてはならず、Davidが演奏ツアーでニューヨークへ帰ってくるタイミングでレコーディングを行いました。

――3、ニューヨークと日本を行き来されていますが、ジャズシーンにおける違いや印象的な出来事がありましたらお聞かせください。
ニューヨークでは、有名なライブハウスは勿論、小さな店であってもミュージシャンが有名無名に関係なく、観客で溢れかえっていますが、日本では集客の苦労があります。かなり名を知られている人たちはその限りではないですが(笑)。
ニューヨーカーの家には、必ずと言っていいほどアートが飾られていますが、音楽もアート同様、彼らの生活の一部であるため、上記のような違いがあるのではないかと思っています。
私のライブに来てくださるお客様は結構ノリがいい方ですが、日本の観客は行儀が良すぎると思うことが多々あります。
ニューヨークの観客は分かりやすくて、良い演奏だと曲の途中であっても掛け声が飛んで、嵐のような拍手が起こるのでプレイヤーの気分も高揚し、演奏に熱が入ります。それが理由かは分かりませんが、有名な海外ジャズプレイヤーが日本で公演する時と、ニューヨークで演奏している時の熱量が違うと感じることが多いです。決して力を抜いているわけではないと信じますが、自然とそうなってしまうのではないでしょうか。
ニューヨークではジャムセッションが至るところで行われていて、凄腕ミュージシャン達がコンサートの後にふらりと立ち寄り、セッションに参加することも屡々です。
例えば、ニュージャージー州在住のドラマーWinard Harperは毎週のようにジャムセッションを開催していて、彼も積極的にセッションで演奏するので、夢のような共演を体験することが出来ます。
ジャムセッションに参加して感じることは、ニューヨークのミュージシャンのレベルが高いことです。日本にも素晴らしいミュージシャンが沢山いて、レベルに遜色は無いと思っていますが、その数が圧倒的に違うと感じています。そういった環境で切磋琢磨するからこそ、素晴らしいプレイヤーが出来上がるのではないでしょうか。
ニューヨークでは、毎晩いろんな場所で、聴きたい!と思わせるライブコンサートが行われているのでどれに行くか迷ってしまいます。常に何かが起こっている街ですから。
以上を総じて、日本で音楽がもっと多くの人々にとって身近なものになればいいなと思っています。

――4、レコーディング中での印象的な出来事はありますか?
素晴らしいメンバーに恵まれたので、難曲であっても一発で録れたり、多くても2~3回だったことに驚きました。一流ミュージシャンの集中力の凄さと実力を、身をもって感じた瞬間です。
そのため、2日間で13曲を録音することが出来ましたが、長いアルバムは避けられるという最近の風潮があるとのことで、苦労して9曲に絞りこみました。
The Island以外は、自らアレンジした曲を持って臨みましたが、メンバー達がその場でアイディアを出し合ってくれて、曲にどんどんと輝きが増していくのを感じました。
例えば、A Night In Tunisiaをボーカルから始めるアイディアや、8小節のドラムソロをインタールードとして加えるアイディアは、David Bryantによるものです。
The Peacocksは超スローテンポなので、リピートすると長くなり過ぎるため、ワンコーラスにして、歌無しで後奏をしてはどうかと、Davidが発案してくれました。
The Islandのスウィングアレンジは、Davidによるものです。
Lush Lifeのverse部分は、ピアノと共に、ベースはアルコを予定していましたが、Dezron Douglasが弓を忘れて来たため、「お詫びの印に、ベースとデュオでやってあげるよ」と冗談混じりに言ってくれ、結果的に曲が良くなりました。
メンバー全員が、良い作品を作ろうと一丸となってくれたことで、素晴らしいアルバムが出来上がったと自負しています。

――5、今回の作品の聴きどころをお聞かせください。
選曲とアレンジです。
変拍子が好きなので、Social Callは、3拍子・4拍子・5拍子・6泊子が交錯するアレンジにしました。詞はJon Hendricksによるものですが、JASRACが詞の著作権を管理していないため、恩師Sheila Jordanに、Jonの娘でシンガーのMichele Hendricks(フランス在住)と繋いでもらい、アルバム収録の許諾を得ることが出来ました。
‘Round Midnightの本体は、5拍子にしました。
Giant Stepsのインタールードは、メロディをモチーフに作りました。近未来的な不思議な雰囲気になっていて、気に入っています。歌詞は、1976年にBetty Nealsという作詞家が、Roland Kirkのために書きましたが、JASRACのデータベース情報が間違っているうえ、詞の著作権は管理していないということで、96歳のBetty Nealsに連絡して、今回の作品のためにレコーディングすることを許可していただきました。
世界を舞台に活躍するDavid Bryant、Dezron Douglas、Darrell Greenという素晴らしいメンバーに加え、ゲストとして加わってくれた黒田卓也と寺久保エレナの演奏が、作品に華を添えてくれました。忙しいこのメンバーが一同に会した奇跡に、感謝しています。

――6、今後の音楽活動の展望をお聞かせください。
今年でニューヨーク在住32年目となりますが、私がニューヨークで体験し習得した自分なりのジャズを、日本の人々と共有したいと考えています。
日本ではあまり知られていない素晴らしい曲が、まだまだ沢山あります。それらを紹介していきたいとも思っています。
ベテラン奏者に加え、若くて素晴らしいジャズミュージシャンが、日本にも大勢いるので、ニューヨークで聴くような熱い演奏が、日本でも出来ると思っています。自分と相性のいいミュージシャンとの出会いを常に求め続けながら、遠いニューヨークへ行かずとも、「ニューヨークに居るような錯覚に陥った」「ニューヨークの風を感じた」と言っていただけるような演奏をしていきたいです。

[Saburo Tanooka インタビュー]
――1、今回の作品は自然の中で収録したフィールドレコーディングとの事ですが、このレコーディング方法に至った経緯をお聞かせください。
これまでもいくつもの作品制作でご一緒させていただいたGarden Notes Music代表の甲壮志さんから『野外で録音してみませんか?』という提案を受けたのがきっかけでした。『フィールドレコーディング』という単語には聞き覚えがありましたし、実際に自然音の録音を活動に取り入れているアーティストやエンジニアの方のお話を聞いたこともありましたが、自分がこんなソロアルバムをつくるなんて、想像したこともありませんでした。でも、旅好きで、自然の中で過ごすことはずっと大好きだったので、根拠のない自信というか、素敵な演奏ができる!っていう予感はしました。ワクワクしながら『東京近郊のどこかの森の中』で初回レコーディングに臨みました。

――2、通常のスタジオレコーディングとの違いを教えてください。
全くなにもかもが違いますよね(笑)。雨が降れば延期だし、搬入のエレベーターもないから楽器や機材を持って山道を歩いて運んで..... そして自然音の移ろう中での録音なので、パンチイン、パンチアウト、編集、一切できません!『一発録音オンリー』だった時代にタイムスリップしたような感覚ですね。どの曲とは言いませんが、蚊に刺されているのにそのまま演奏し続けた、なんてこともありました。

――3、レコーディング中で印象に残った出来事があればお知らせください。
『自然の中で演奏する』という意気込み、イメージでレコーディングに臨んだのですが、実際は『自然とアンサンブルする』作品に仕上がったと思います。その場で鳴っている音、生まれる音と共鳴しようとするのは、僕の演奏家としての本能なのかもしれません。アコーディオン独奏アルバムなのに、一期一会のアンサンブルをしている感覚で制作に臨めたのは、全く新しい喜びでした。あとは全面的にエンジニアも務めていただいた甲壮志さんのマイキング....相当フィールドレコーディングに特化して研究を重ねられたそうで、録り音の美しさはもちろん、スタジオとは方法論が異なるマイキングの『見た目の美しさ』も素晴らしく、演奏のテンションが上がりました。

――4、曲の中には小鳥のさえずりや飛行機の音など聴こえてきますが、演奏に影響はありましたか?
影響というより、まさに小鳥や飛行機が『共演者』だったのです。鳥の声や風の音が気持ち良さそうなタイミングを狙ってレコーディングスタートをしたり....普通のレコーディングと全く違う要素を考えながらの演奏は、楽しかったです! 即興要素の強いナンバーは、自然音が演奏のみならず『楽曲』にも影響を与えていますね。

――5、今回使用したアコーディオンについて、こだわりの部分についてお聞かせください。
いきなり一曲目から『壊れかけのアコーディオン』を使用しました。正確に言うと『壊れたアコーディオン』かもしれません。楽器としては崩壊しかけているのですが、とにかく日本製としては最古くらいの年代物で、専門家に聞いたところ『リードの材質がその時代特有のもの』とのことで、独特の存在感があるのです。この楽器の『壊れてない部分』を生かし、『壊れている部分』もチャームポイントにするような演奏を、M-1『Prelude』では心掛けました。それでも録音直後は、これをリリースして良いのか、こんなのアリなのか(笑)本当に悩みましたよ。リスナーの視点でじっくり聴いて、シンプルに心地良いサウンド!と心から思えたので、アルバムのスタートはこの楽器の音色からと決めました。他のほとんどの楽曲は、室内のステージやレコーディングで連日フル稼働しているアコーディオンの中から、バリエーションを交えて奏でています。当たり前ですが、スタジオで響きの良い楽器は、自然の中でも良き音色ですね。M-14『Fantina』ではアコーディオンではない蛇腹楽器“コンサーティーナ”を奏でています。専門外の楽器なのですが、つたない演奏だからこそ伝わるメロディーもあると思って、自由な気持ちで臨みました。僕自身『本来弾けないアコーディオンを見よう見まねで弾いちゃっている』ところからプロの演奏家になったので、初心を大事に!の気持ちもあると思います。

――6、今回の作品の聴きどころをお聞かせください。
未体験の音世界、心地良さが詰まった一枚だと思います。アコーディオンと自然音のアンサンブル、そして自然音を主役に見立ててアコーディオンの音色を味わっていただいても楽しいかもしれません。『かけっぱなしで気持ちいい』フィールドレコーディングアルバムだと思います。是非とも、身を委ねていただきたい!!!

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