妊娠を望んでいるのに妊娠できない・・・。33歳で不妊治療をスタートしたまんが家。流産を経験しながら体外受精でわが子に出会うまで

『不妊治療1800日~入院、闘病を経て39歳で二児の母になりました!~』より。©藤本ハルキ/海王社

不妊治療や検査を受けている夫婦の数は4.4組に1組(※)で、年々増加しています。まんが家の藤本ハルキさんも、かつて不妊に悩む女性の1人でした。妊活を始めても授からないことに不安を感じて、33歳のときに産婦人科を受診。その後の怒涛の第一子出産までの日々について、藤本さんに話を聞きました。全2回インタビューの1回目です。

※ 厚生労働省「不妊治療と仕事との両立サポートハンドブック」より(2021年調査)

不妊治療をへて45歳での出産は壮絶!産後は不調続きで回復までに1年も…【美容系YouTuber・あいり】

妊活半年で、不妊治療を考えた理由

34歳のときに専門のクリニックで本格的に不妊治療をスタート。 ©藤本ハルキ/海王社

――藤本さんが不妊治療を始めたきっかけを教えてください。

藤本さん(以下敬称略) 32歳で妊活を始めてから、半年たっても妊娠に至らなかったのがきっかけです。当時の不妊の基準は「妊娠を望む男女が2年間の性交渉で妊娠しないこと」(注/現在は1年)だったので、半年での受診は速い判断だったと思います。ただ、私は幼少期からぜんそくの既往歴がある上に、月経が重く、周期も安定しないなど自分の体調に自信がなかったので、何か原因があるのかなと思って近所の産婦人科を受診することにしました。

――どんな治療を受けていましたか?

藤本 近所の産婦人科では、不妊の相談は受け付けていましたが、専門的なものではありませんでした。それでもタイミング法(※1)を受けながら、卵管に詰まりがないか調べる「卵管造影検査」をして、1年くらい通っていました。

――その後、不妊治療専門のクリニックに転院されましたが、きっかけは?

藤本 同じく妊活中だった知人にたまたま会ったときに、「とてもいいところだから」とそのクリニックをすすめられたんです。私たちもそろそろ次にステップアップしたほうがいいのかな…と思っていた時期だったので、転院しました。

本格的な不妊治療のスタートにあたって、夫と話し合って決めたのは「治療期間は40歳まで」という年齢のリミットです。赤ちゃんが生まれない可能性も十分に高かったのですが、「頑張ったという証拠を残しておきたい」という気持ちと、できる限りのことをしたい、後悔したくないという思いがお互いにありました。

※1 タイミング法/最も妊娠しやすい排卵日を予測して、性交渉のタイミングを医師が指導すること。

初めての体外受精で陽性反応が。でも…

陽性反応ののち、悲しい結果に。©藤本ハルキ/海王社

――クリニックでの治療の経過を教えてください。

藤本 不妊治療は、①排卵日に性交渉するタイミング法、②精子を細い管で子宮内に注入する人工授精、③卵子を採取して受精卵にし、発生した胚を子宮に移植する体外受精――と、徐々にステップアップしていきます。私たちは前の病院で1年間タイミング法を試していたので、転院先のクリニックでは人工授精から始めることにしました。

当時、担当の先生からは「人工授精は5~6周期の間くらいに妊娠するのが目安」だと言われました。私たちは取りあえず3周期試してみたのですが、残念ながら妊娠には至りませんでした。夫の精子の運動量も、私自身の血液検査もとくに問題なかったので、原因はわかりません。

慎重派の夫は「ギリギリ6周期まで人工授精を試してもいいんじゃない?」と言っていましたが、私は1日でも早いほうがいいし、お金を無駄にしないためにも体外受精にステップアップしようと提案しました。先生は、原因を特定できないことから「ステップアップした先でようやく問題がわかることもある」と話していました。私は自分が「ピックアップ障害」(※2)なのかなと感じていたので、体外受精ならそこをサポートできるのかなと考えたんです。

――体外受精にステップアップして、いかがでしたか。

藤本 1回目の体外受精で子宮に移植した胚で、すぐに妊娠の陽性反応が出ました。でも、その後は心拍までは確認できずに出血してしまい、稽留(けいりゅう)流産になってしまったんです。さらにそのときの手術で、がん化する可能性がある「胞状奇胎(ほうじょうきたい)」という病気だということがわかり、胞状奇胎を完全に除去するための2回目の手術を受けました。不妊治療さえすれば子どもを授かるわけではない、妊娠したからといって無事に産めるとはかぎらない…と痛感しました。

※2 ピックアップ障害/排卵した卵子を卵管内に取り込めず、受精の場が設けられない障害。

2回目の体外受精にチャレンジ

2016年9月、妊娠9週のエコー写真。(藤本さん提供)

――半年ほど休んで、不妊治療を再開しました。

藤本 2回目の体外受精で、また陽性反応が出ました。前回のこともあり心配していましたが、無事に心拍の確認が取れて、夫と喜び合いました。

その後の妊娠経過は、エッセイまんが『不妊治療1800日~入院、闘病を経て39歳で二児の母になりました!~』に詳しく描いたのですが、つわりがひどくて炭酸水しか飲めない時期がありましたし、妊娠5カ月のときには早産リスクを考えて急きょ入院にもなりました。そして、妊娠8カ月のときに子宮頸管が短くなって再び1週間の入院生活になったりと、本当にいろいろありましたが、無事に出産。長女が生まれました。

――その後の第二子の出産まで、約5年間の不妊治療の生活でした。振り返ってどう感じていますか。

藤本 不妊治療を始めるときは慎重に考えていても、いざ始まると怒涛のように治療が進んでいったなあと思います。「この日のこの時間に来られますか?」とその場で返事をしなければいけない状況が続いて、とても大変でした。家に持ち帰って夫と相談できないことのほうが多かったのですが、幸い夫が協力的でよく話を聞いてくれたので、一緒に治療に取り組んでいるという感覚はありました。

不妊治療の先輩として伝えたいこと

藤本さんが「やってよかった」というAMH検査。©藤本ハルキ/海王社

――不妊治療中、「これをしておいてよかった!」と思ったことはありますか。

藤本 卵巣の機能がわかる「アンチミューラリアンホルモン(AMH)」の値を調べることですね。私が調べたのは2人目の不妊治療のときだったのですが、38歳の中央値(※3)が2なのに、私はわずか1.15とかなり低いことがわかりました。同年代でもAMHが7や8と高い人もいるので、年齢は関係ないんだなと感じました。もちろん数値がすべてではないのですが、数値が高ければ「もう少しタイミング法を続けてみよう」、低ければ「短期決戦でいこう」と、ある程度の治療の指針になるので、ぜひおすすめしたいなと思います。

もう一つは、風疹の抗体を調べることです。私もそうでしたが、いざ妊娠したときに抗体が低いとわかると赤ちゃんへの先天性疾患のリスクを考えて不安になるので、なるべく妊娠前に調べておいて、低い場合はワクチンを打っておいたほうがいいとまわりの人にお伝えしています。

――今、不妊治療を検討している人、治療中の人にメッセージをお願いします。

藤本 2022年から体外受精など高額の医療費がかかる不妊治療が保険適用になりましたが、やはりお金はかかりますし、たくさん時間もとられます。また、治療をステップアップしてみないとわからないことがすごく多くて、本当に疲れてしまう人も多いと思います。

そうならないように、治療方針やお金のこと、いつまで不妊治療をするのかなど、事前に夫婦で話し合いをしっかりしておくことをおすすめします。私たち夫婦の場合は、疲れたときには「一周休んだときに妊娠する可能性があるとしたらもったいない」「だったら続けようか」と、話し合いで進めてきました。現在治療中の方も、ぜひ後悔のないように選択して、希望するゴールに1日でも早くたどり着くことを祈っています。

※3 中央値/数値を小さいほうから順に並べたときに真ん中に位置する値。平均値のように極端な値に影響されないので、実態に近い数値を把握できる。

お話/藤本ハルキさん 取材・文/武田純子、たまひよONLINE編集部

「妊娠しないのは私が本気で子どもを欲しいと望んでいないから…?」と悩むこともあったという藤本さん。不妊に悩む夫婦が増えている現在、藤本さんの体験談は多くの人の参考になるのではないでしょうか。

藤本ハルキさん

PROFILE
BL(ボーイズラブ)、エッセイまんが家。自らの婚活体験を記した『BLマンガ家ですけど結婚してもいいですか?』(海王社)は2017年にテレビドラマ化。2022年に不妊治療を記した『不妊治療1800日~入院、闘病を経て39歳で二児の母になりました!』(同)を出版。2017年生まれの長女、2020年生まれの二女の二児の母。

藤本ハルキさん公式ホームページ

『不妊治療1800日~入院、闘病を経て39歳で二児の母になりました!』

「40歳までに二児の母になりたい!」と不妊治療をスタートしたまんが家・藤本ハルキさん。ところが予期せぬ発病やアクシデントに見舞われて…。家族と共に駆け抜けた1800日を記録した、実録コミックエッセイ。藤本ハルキ著/1100円(海王社)

© 株式会社ベネッセコーポレーション