ABBA、スウェーデン国王より最高の名誉“ヴァーサ勲章”を授与

ABBA - Photo: FilmPublicityArchive/United Archives via Getty Images

ABBAのメンバーであるアグネタ・フォルツコグ、ビョルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アンニ=フリッド・リングスタッドの4人が、「スウェーデンおよび国際的な音楽活動において顕著な功績を残した」ことを讃えられ、スウェーデンのカール16世グスタフ国王より、スウェーデンで最も名誉ある爵位である“ヴァーサ勲章のCommander of the First Classを”を授与された。

同勲章の授与は約50年ぶりとなる。カール16世グスタフ国王は、“13人の並外れたスウェーデン人”に勲章を手渡す前に、「今日、皆さんが手にする勲章は、皆さんの並外れた努力に対するスウェーデンからの感謝の印です」と述べた。 

開催前から大波乱のユーロヴィジョン

ABBAは、1974年に開催された第19回ユーロビジョン・ソング・コンテストでデビューを果たしたが、同年のコンテストは最初から波乱続きだった。主催国となる予定だったルクセンブルクが予算不足のため辞退し、急遽開催地がイングランドのブライトンへと変更。

またイタリアは、国政選挙の前夜にジリオラ・チンクェッティが歌うイタリアの代表曲「Sì」を放送することは、「Sì」が「Yes」を意味することから、現政権に賛成票を投じさせるサブリミナル効果をもたらすプロパガンダとなることを危惧し同コンテストの放送を拒否した他、同コンテストの司会を務めるケイティ・ボイルの衣装にも問題があり(今でこそ有名な、見えては行けない部位が誤って露出してしまうアクシデント “ワードローブ・マルファンクション”のほぼ初期の例)、フランスでは大統領が死去し、葬儀の日程と重なったため、コンテスト開催の11時間前に出場を辞退。さらにイギリス代表のオリビア・ニュートン・ジョンは、自身のエントリー曲の選択に失望を表明していた。

一方で、この前年、ヨーロッパでの成功を目指しながらも国内予選で敗退していたスウェーデン代表のABBAにとって、このような混乱は最も避けたいものであり、この年のユーロビジョンでのパフォーマンスにはグループの運命がかかっていた。

前年のABBAのエントリー曲「Ring Ring(木枯らしの少女)」はスウェーデンの国内予選で3位に留まった。1974年、彼らは遂にスウェーデン代表に選出され、当初一部の予想屋たちからはその年の勝者として、ABBAの「Waterloo(恋のウォータールー)」を推す声もあったが、特に勝算があるわけではなく、開催当日は4月6日にはイギリスかオランダのどちらかの勝利が予想されていた。しかし、この予想が立てられていた時には、まだ誰もABBAのパフォーマンスを見たことがなかった。

ABBAの素晴らしいパフォーマンス

しかし、素晴らしい衣装ときらびやかなメイクアップを施したアグネタとフリーダがステージに登場したとき、全ては一変した。「Waterloo」がナポレオンの「ワーテルローの戦い」からとられたタイトルということで、指揮者のスヴェン=オロフ・ワルドフはナポレオンに扮した扮装で登場。そしてABBAのパフォーマンスは冒頭から人々を驚かせ、期待を高めた。歌詞をスウェーデン語から英語に訳したことも功を奏した。「Waterloo」の持つその抜け目のない歌詞と軽快なリズムにのったフックが、ユーロビジョンの会場内にいたオーディエンスを巻き込んだのだ。

それはユーロヴィジョンの歴史的瞬間のひとつとして今でも残っている。その後、「Waterloo」はヨーロッパ中でチャートで首位を獲得し、全米でも6位に食い込むなど、ABBAの勢いは止まらなかった。ユーロビジョン決勝でのあの夜、彼らのパフォーマンスは、世界を征服しようとするABBAの最初の大きな勝利となったのだ。

Written By Sam Armstrong

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