被害女児の兄、苦悩伝え続けて10年 佐世保の小6女児同級生殺害 足りなくても待つ謝罪

被害者の兄は加害者からの謝罪を待ち続けている=福岡県内

 2004年に長崎県佐世保市で起きた小6女児同級生殺害事件で犠牲になった被害女児の兄(34)は14年に「きょうだい遺族」としての立場から講演を始め、今年で10年。苦悩を伝え支援策を求めてきた。そうした活動を続けながら、加害者からの謝罪を待ち続けている。

 当時中学3年。5時間目のことだった。突然授業が自習になり、友達と勉強はそっちのけで話に花を咲かせていた。すると担任がやって来て「校長先生から話があるから付いてきてほしい」と言われた。友人にからかわれながら向かったカウンセリングルームに着くと7、8人の先生がいた。

 「これはただごとじゃない」。先生に促されるままソファに座ると、何の説明もなく校長からA4判の紙を1枚渡された。大久保小で起きた事件のネットニュース記事。そこには妹の名前があった。何があったのか理解は追いついたが、どんな感情を示せばいいのか分からなかった。周りの先生たちはうつむき、女性の先生は泣いていた。

 加害者が誰か知ったのは妹の司法解剖が終わった後。父から加害女児について聞かれた。彼女と妹の間でトラブルが起きていたのは知っていたが、「なぜこの子はここまでしたのか」、凄惨(せいさん)な事件とトラブルの間に大きな溝を感じた。

 壊れそうな父の前で決めたのは「父の意見に逆らわない」「誰の前でも笑顔でいる」-。夏休みから部活に戻り、2学期からは授業にも出た。そのまま受験勉強に突入。本当は友人たちとともに佐世保の高校に進学したかったが、父に従い福岡市の高校へ進学した。

 入学後、それまで張りつめていた緊張の糸がプツンと切れ、保健室登校に。出席日数が足りず、退学した。そこで事件後、父に初めて自らの苦しみを伝え、カウンセリングを受けてみようと決意。回復の道を親子二人三脚で探ることができた。

 講演活動を始めたきっかけは成人してから。父の同僚である毎日新聞の記者が体験を聞いてくれ「自分が考えていたことが整理できた」と感じたからだ。全国津々浦々、年3、4回、被害者の「きょうだい」として支援の充実を訴えている。「親も傷ついてる状態だからこそ、第三者が子どもへのケアをしないといけない」

 加害者に謝罪してほしいという思いは、事件直後からずっと変わらない。「国が『更生させる』と言っているなら、更生の結果を見せてほしい。謝罪にはどんな言葉を尽くしても足りないと思うが、謝罪したという行為がほしい」。少年審判や更生施設で加害女児に罪を自覚させられたのかは不明なままだ。

 「彼女が謝罪してやっと『普通に生きなさい』と言える。悪いことで再び名前が出ないように。罪を犯した人が生きていく難しさを知ってるからこそ、ちゃんと生きてちゃんと死ぬことで、初めて許されるんじゃないのか-」。「真の更生」を求めている。

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