おわら全国普及の原点 昭和4年、東京で活動の写真確認

日本工業倶楽部会館でおわらを披露する踊り手と地方衆=1929年、東京(林さん提供)

  ●「新踊り」芸妓が初披露

 富山市八尾町鏡町の民家で、現在のおわら踊り「新踊り」が1929(昭和4)年に完成した際の写真が確認された。新踊りは同年、東京・日本橋三越百貨店で開かれた富山県の「特産品陳列會(かい)」で芸妓が初披露し、その後、町民たちも踊るようになり普及したとされる。写真を確認した県民謡越中八尾おわら保存会は「歴史をよりリアルに感じられるようになった。おわらが全国に広まる契機の活動を伝える意義深い史料だ」としている。

  ●八尾保存会が調査

 写真は、おわらを受け継ぐ11町の一つである鏡町の林俊行さん(66)方にあった。県民謡越中八尾おわら保存会の資料編纂部が調査し、確認した。

 林さん方の写真で撮影場所や時期を特定できた5枚のうち3枚は、1929年に東京で「新踊り」が初披露された際、東京丸の内の日本工業倶楽部会館で開かれた関係者の歓迎慰労会の様子と判明した。優美な踊りを披露する芸妓のほか、後ろにいる地方(じかた)の姿も確認できた。従来、同様の場面を収めた印刷物はあったが、今回の写真はより鮮明に細部まで見え、舞台の奥行きまで分かる。

 出演者らが東京・銀座の歌舞伎座を訪れた際の集合写真や、前年の28年に富山市新富座で開かれた富山県消防展覧会での出演の様子を撮った写真も見つかった。県消防展覧会の場面は別カットが三越百貨店が発行したイベント告知に使用されている。

 保存会の資料編纂部によると、おわらは1921(大正10)年の全国民謡大会で一等となり、レコード化やラジオ放送で広く知られるようになった。徐々に知名度が高まる中、新たな歌詞や踊りを準備して臨んだ三越での舞台はおわらの歴史の新たな節目となった。

 調査に当たった資料編纂部員の植松孝文さん(58)は「写真の有無でおわらの説得力も変わってくる。史料をきっかけに歴史に興味をもったり、新たな史料調査の契機になる」と話した。

 ★おわら踊り 富山市八尾町に伝わる踊りで、「越中八尾おわら風の盆」では三味線や胡弓の音色と唄に合わせ、編み笠姿の住民が三日三晩踊り明かす。勇壮な「男踊り」としなやかな「女踊り」を総称した「新踊り」と、古くからある素朴な「豊年踊り(旧踊り)」がある。1929(昭和4)年6月に東京の日本橋三越百貨店で開かれた物産展「富山県特産品陳列會」で女踊りが初めて披露され、2カ月後に男踊りも完成、「県民謡越中八尾おわら保存会」も発足した。

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