アトランタ五輪「マイアミの奇跡」陰の立役者はキング・カズだった!

ブラジル戦で大奮闘した前園真聖(96年7月)

【多事蹴論88】“マイアミの奇跡”の裏にキング・カズの存在があった――。1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得したサッカー男子の日本は28年ぶりに96年アトランタ五輪の出場権を獲得した。西野朗監督が率いる23歳以下のイレブンで編成されたチームは後にA代表で主力となるFW城彰二、MF中田英寿、GK川口能活ら若きスターが集結。この個性派集団をキャプテンのMF前園真聖がまとめ上げた。

日本はプロサッカーのJリーグが創設されたばかり。大きな期待を背負って五輪の舞台に臨むことになったが、1次リーグ初戦の相手はサッカー大国ブラジル。17歳で“セレソン”入りした怪物ストライカーのFWロナウド(当時の登録名はロナウジーニョ)やDFロベルト・カルロスらに加えて、日本がイレブンの意向を尊重し、活用していなかったオーバーエージ(OA)枠(24歳以上)でMFリバウド、MFベベトらを選出。スーパースター軍団だった。

前園は「当時のブラジルは規格外。ビデオを3倍速で見ているような印象で実力差は明白でした。正直、勝ち目ないなって思いました」。ただ西野監督がブラジルDFとGKの連係に不備があることに着目し「“勝機はある”“そこを狙っていこう”と言ってましたが、そこにすがるしかない状況でしたね」と、半信半疑ながらも作戦を確認したという。

日本は指揮官の狙い通りに王国イレブンの連係ミスを誘う。前園は「僕が出したパスを路木(龍次)が予定通りにDFラインの裏にボールを送る。城が相手DFを引きつけると、キャッチしようと飛び出してきたGKとDFが交錯。こぼれ球に走り込んだテル(MF伊東輝悦)が押し込みました」と歴史的なゴールシーンを解説し「あとは“早く終われ”としか考えていませんでした」と振り返った。

これが多くのメディアでも伝えられる「マイアミの奇跡」の“顚末”だが、他にも勝因があったという。前園氏は「試合の1週間前くらいに五輪に出場するブラジル代表と世界選抜が試合をしたんですよ。ニューヨークで。そこにカズ(FW三浦知良)さんが出ていた。それが大きな参考になった」。同じピッチで戦ったことのあるカズのプレーを基準にすることでブラジル勢のスピードや強度、間合いなどを把握できた。

五輪キャプテンは「試合をテレビで見ていて、みんな“こいつら、やばいな”って言ってましたけど、カズさんをベースに見たので、ブラジル選手がどんな感じなのかをイメージできた。その効果もあって、劣勢な展開ながらも最後まで戦えたと思います」。

日本は初戦でブラジルに勝利するも1次リーグ敗退。ちなみに日本と同組だったナイジェリアがアフリカ勢で初の金メダルを獲得し、ブラジルは悲願(当時)を達成できず、銅メダルだった。 (敬称略)

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