白峰に寿像と御消息 東本願寺21世厳如上人 林西寺で確認

厳如上人の寿像と御消息、添状について説明する木越氏(右)=白山市白峰の真宗大谷派林西寺

  ●堂舎再建で床板寄進の返礼

 白山市白峰の真宗大谷派林西寺で、東本願寺21世厳如(ごんにょ)上人(1817~1894)の寿像(じゅぞう)(生前に描かれる肖像画)と御消息(手紙)が確認された。幕末の争乱「蛤御門の変」で焼失した東本願寺の堂舎を、明治期に再建した際に、白峰・桑島両村の門徒が床板を寄進したことへの返礼として東本願寺から贈られた。これまで厳如上人の寿像は全国で確認されておらず、白峰、桑島と東本願寺の関わりの深さを示す史料となる。

 白山市立博物館が2022年から取り組む林西寺に残る古文書の調査で見つかった。約3千点に上るとみられる文書のうち、これまでに約2千点が整理され、12日に同寺で開かれた資料解説会で発表した。解説会には地元の門徒ら約20人も参加した。

 寿像は参内の際に着る最上級の正装で描かれ、厳如上人直筆の署名が入っている。御消息は厳如上人が1880(明治13)年に東本願寺再建の決意を述べたもの。現在の宗務総長にあたる執事の渥美契縁(かいえん)が寿像と御消息を出した経緯を説明する書状「添状(そえじょう)」も合わせて見つかり、1889年に白峰、桑島両村の門徒に贈られたことが分かった。

 解説役の加能地域史研究会代表委員の木越祐馨氏によると、江戸時代の白峰、桑島両村は幕府が直接統治する天領で、東本願寺が火災に遭った際には幕府の命令で床板を寄進していた。全国的にも珍しい寿像が、正装した姿で描かれていることについて「白峰、桑島の門徒に対する深い敬意がみてとれる」と話した。

 林西寺の加藤彰教住職は、村を挙げて床板を京都に送り出した先人たちに思いをはせ、「当時の門徒と東本願寺の、双方向の熱い思いが伝わる貴重な史料。大切にしていきたい」と力を込めた。説明を受けた門徒の加藤唯央さんは「地元にとって大切な宝でよく残っていてくれた。今後も見る機会を設けてほしい」と話した。

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