【霞む最終処分】(52)第9部 高レベル放射性廃棄物 結論なく過ぎた半世紀 国の覚悟いまだ見えず

 人類が原子力の平和利用を進めていた1954(昭和29)年、旧ソ連のオブニンスク原発が世界で初めて営業運転を始めた。遅れること12年。1966年に日本原子力発電東海発電所(茨城県東海村)の商用炉に火がともり、国内でも原発との歩みが始まった。

 エネルギー資源に乏しい日本の原子力政策では、原発の使用済み燃料を再処理し、プルトニウムなどを再利用する「核燃料サイクル」が進められてきた。仕組みを回すためには、抽出後に残る高レベル放射性廃棄物を埋設する最終処分地が欠かせない。にもかかわらず、原発の稼働開始から60年近くを経ても最終処分のめどは立っていない。

 各原発の使用済み燃料プールなどに保管されている核燃料は約1万9千トンに上る。現在の貯蔵上限値約2万4千トンの約8割に達しており、処分場の確保は一刻を争う。

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 東京電力福島第1原発では廃炉作業に伴う放射性廃棄物が増え続けている。最終的な処分の在り方は定まっていない。福島県内の除染で発生し、中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)に一時保管中の土壌は2045年3月までに県外で最終処分すると法律で「約束」されている。しかし、期限まで21年を切っても除染土壌の行き先は霧の中にある。

 政府は昨年夏、福島第1原発からの処理水の海洋放出を決める過程で「その場しのぎ」「結論ありき」ともとれる進め方を重ねた。長崎大教授(原子力政策)の鈴木達治郎は一連の政策決定の問題点を「最終的な強行姿勢を含め、国に対する国民の不信感が高まった」と指摘する。

 鈴木は宙に浮いた高レベル廃棄物と、原発事故に由来する廃棄物の最終処分に共通する問題として「国が前面に立ち、責任を負う覚悟が見えない」点を挙げる。原発を国策とする以上は自治体や事業者任せではなく、国が科学的な根拠に基づいて複数の処分適地を選び、協議を主導する手法に転換するよう訴える。「廃棄物が存在する限り、最終処分の問題は避けては通れない。だが、国民的議論は始まってすらいない。国は結論ありきではなく、幅広く声を聞く対話の場を設ける必要がある」と政府に積極的な行動を求める。

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 知事の内堀雅雄は「廃炉の問題は国の責任において対応すべきである」との姿勢を貫いている。双葉町長の伊沢史朗は福島第1原発と中間貯蔵施設のある町として最終処分の実現を求めてきた。「復興のために、と覚悟して中間貯蔵を受け入れた町民の思いを背負い、国が最後まで取り組むよう訴え続ける」と強調する。

 ただ、現状では除染土壌や溶融核燃料(デブリ)などの問題がいつ解決するかは見通せない。県内には「県がより積極的に関わるべきだ」との指摘もある。

 福島第1原発ができるまでの双葉郡の主な産業は農業だった。勤め先は限られ、多くの住民が首都圏などへの出稼ぎを余儀なくされた時代がある。原発の立地に伴う交付金は立地町をはじめとする地域を潤した。2011(平成23)年3月に原発事故が起きるまで県には年間20億円超の交付金が入り、中通りや会津地方の発展にも充てられた。

 「原発事故に絡む廃棄物の最終処分は国の責任だ。それと同時に福島県民も向き合い、考えなければならない問題だろう」。高レベル廃棄物の処分場選定に向け、文献調査を受け入れた北海道寿都町長の片岡春雄は語る。福島の復興を託す次世代に恥じぬ対応とは何か、県民一人一人に問われている。(敬称略)

 =第9部「高レベル放射性廃棄物」は終わります=

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