漫画『気になってる人が男じゃなかった』レビュー:モダンかつノスタルジックな物語

(C) Arai Sumiko / KADOKAWA

2023年4月19日に第1巻が発売、2024年2月27日に第2巻が発売になった新井すみこ氏による漫画『気になってる人が男じゃなかった』。この作品は作者のX(Twitter)で公開されると瞬く間に話題となり、単行本が発売されると日本の漫画界の中で最も注目される漫画賞やランキングなどを受賞している。

実在のアーティストや楽曲などが登場するこの漫画について、ライターの粉川しのさんにレビューいただきました。

また2024年5月29日にはプレイリストから厳選された楽曲がコミック・サウンドトラックとしてCDで発売、7月31日にはカラー・ヴァイナルにて発売されることが発表となっている

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極上の青春物語

「絶対好きだと思うからチェックしたほうがいい」と複数の知人から勧められ、何となく読み始めたところ、まんまとハマってしまった『気になってる人が男じゃなかった』。作者の新井すみこのSNSでバイラルを巻き起こし、書籍化されるや累計40万部を突破する大ヒット作となった同マンガにはグッとくるポイントが幾つもあるが、特に筆者のように洋楽ロックと共に思春期を過ごした者にとっては、「あるある」の経験や心境が次々に描かれていく本作は、まさにエモーショナル!の一言だ。過去の自分を投影してエモ・メーターを振り切ることもできるし、こんな高校時代を過ごしてみたかった……としみじみすることもできる、極上の青春物語なのだ。

CDショップで働く「おにーさん」が気になって仕方のない女子高生のあや。しかし、その「おにーさん」の正体が実は高校のクラスメイトのみつきだったことから、二人の「好き」を巡るストーリーは走り出していく。どちらかと言えばギャル寄りのあやと、地味キャラのみつきの共通点は洋楽が、特にオルタナティヴ・ロックが大好きなことだ。二人の出会いのきっかけとなったNirvanaから、初めて一緒に行く予定だったRed Hot Chili Peppersのライヴ、みつきがあやに自分の気持ちを伝えるために歌ったRadioheadなど、本作では音楽が二人を結びつけ、互いを深く理解するための重要なツールとして使われるのが大きなポイントとなっている。

あやとみつきは現代の高校生だが、90年代のオルタナティヴが特に好きなようで、劇中では他にもBeckやBlur、Foo Fighters、Deftones、Guns N’ Roses etc.の名前が彼女たちの会話やアルバムのジャケット、スマホの画面を介して頻繁に登場する。こうしたアーティストを彼女たちがディグっているのは、CDショップの店長をやっているみつきの叔父さん(元バンドマン)の影響もあるのかもしれない。そこからThe Strokesや The Shins、Willow、Turnstileといった2000年代以降のアーティストや、AerosmithやBlack Sabbathといったさらにクラシックなロック・バンドまで、彼女たちはストリーミング世代らしいマナーで時代を自由に横断し、お気に入りを見つけては二人で共有していくのだった。

 

学校や社会においてマイノリティな洋楽ロック・リスナー

ちなみに、海外のオルタナティヴ・ロックがあやとみつきを強く結びつけた理由は、NirvanaやWillowの話ができる友達が周りに殆どいないからで、今も昔も洋楽ロック・リスナーが学校や社会においてマイノリティであるのは変わりがない。筆者は恐らくみつきの叔父さんと同世代、90年代オルタナの洗礼を10代のど真ん中で受けた世代だが、まさに二人と同じような経験をしてきた。

中高一貫の女子校に通っていたこともあり、なおさらUSオルタナやUKインディーを聴いているクラスメイトは誰もいなかったし、放課後は渋谷のレコードショップを一人で徘徊するのが日課だった。本作冒頭であやが「音楽は一人で聴くに限る」と独白するように、それが特に寂しいとは感じなかったし、あやのように学校では「ジャンルの違う」友達と普通に仲良くさせてもらっていた。それでも、ライブで知り合った学校外の友人と来日するバンドを追っかけたり、電話で延々アルバムの感想を言い合ったり、一緒にイベントに行ったりするのは本当に楽しかったし、好きな音楽が同じというだけで相手のことを(そして改めて自分自身のことも)理解できる、そしてもっと理解したいと思えたことは、かけがえのない体験だったのは間違いない。

 

成長や救いのメタファー

ただし、「じゃあ、『気になってる人が男じゃなかった』は音楽好き、オルタナ好きだけに刺さる青春ストーリーか?」と問われれば、全くそんなことはない。あやとみつきを繋ぐ音楽は、思春期の揺らぎの只中にいる全ての10代にとっての、成長や救いの一つのメタファーに過ぎないからだ。「周りとリズムが合わない」、「ジャンルが違うと友達になれない」ことは本作で繰り返し描かれるものだが、「リズム」、「ジャンル」という音楽的用語こそ用いているもの、そのどちらにしても10代の頃に誰もが一度は経験する悩みであるはずだ。

先にも書いたように、『気になってる人が男じゃなかった』は90年代オルタナのリアルタイマーとして、過去の自分を投影してノスタルジックな気分に浸れる物語だ。同時に、本作は我々の時代には生まれ得なかった、極めて現代的な物語であるとも感じる。例えば、あやとみつきの互いに対する「気になる」、「好き」という気持ちが、ごくニュートラルに描かれていることもそうだろう。不器用な二人は何度もすれ違うが、彼女たちが乗り越えないといけないものの中に、ジェンダーはほとんど意識されていない。お互いが大好きで大事には違いないが、好きの種類も特定はされず、その解釈は広く読者に委ねられている。そもそも彼女たち自身も、自分の気持ちを厳密には定義していないはずだ。

また、本作では二人を介するツールとしての音楽に、「CD=フィジカル」と「ストリーミング」が両方効果的に用いられているのも嬉しいところだ。筆者がリアルタイムでオルタナを聴いていた90年代には、もちろんフィジカルしかなかった。友人とのやり取りはCDの貸し借りとオリジナル・テープを作って渡すこと(それはそれですごく楽しい作業ではあったのだが)が主で、あやとみつきのように、気になった曲、相手に今すぐ聴いてほしい曲を、スマホでいつでもやり取りできるような即時性は、すごく羨ましいと感じる。しかし、彼女たちもCDという物体がなければ出会うことも、直接繋がることも叶わなかったわけで、そうしたオールドスクールなコミュニケーションがちゃんと生かされているのも、『気になってる人が男じゃなかった』がモダンかつノスタルジックな物語である所以だ。

 

内に閉じこもらない

そして最後にもう一つ、私が本作に感じる現代性の中でも特に好きなものは、オルタナティヴ・ロックを通じて深まっていく二人の関係性が、二人だけの内に閉じこもる排他的なものになっていないという点だ。ロックというジャンルは、時としてナイーヴな感受性を痛打し、思春期のアウトローな気分を盛り上げるものだ。「大人はわかってくれない」という古典的な反抗に浸ったり、自分対社会の構図を作り上げたりしたくなるものだったりもする。90年代のNirvanaやRadioheadは、まさに思春期を暗い目をしてやり過ごすしかない、そんなアウトローのための音楽だったとすら言える。

しかし、2020年代のあやとみつきは、そんなロックの旧弊的なメンタリティには縛られない。対人関係におけるあるべき距離感を模索する二人の間を流れる音楽は、むしろ彼女たちが人と繋がることを助け、友達の輪を広げ、「リズムが合わない」人たちが賑やかなビートを刻む社会を受容する助けになっている……という描写が清々しいのだ。

今、物語は、あやとみつきが好きな音楽を横並びで聴いていた構図から、音楽を作ることに目覚めたみつきと、そんな彼女を見守り応援するあや、という構図に移り変わっている。音楽を「作る」ことと「聴く」ことの違いは大きい。「同じ曲を聴いているはずなのに、“遠い”」というセリフも劇中にあるように、二人の新たな関係は、これからも山あり谷ありのものになりそうだ。それでも運命的に引き寄せ合っていくだろうあやとみつきを、この物語のプレイリストと共に見守っていきたいと思うのだ。

Written By 粉川しの

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