ヤクルト奥川恭伸を支えた「右肘手術は最終手段」の覚悟…2年ぶり一軍登板で涙の980日ぶり勝利

号泣する奥川(C)共同通信社

「この2年間の中で…」 京セラドームのお立ち台。こう話したところで声を詰まらせ、大粒の涙を拭った。

ヤクルトの奥川恭伸(23)が14日のオリックス戦で2年ぶりの一軍登板を果たし、5回1失点の好投。2021年10月以来、980日ぶりに勝ち星を挙げた。

星稜高3年時に夏の甲子園で準優勝するなど、世代屈指の投手として、3球団競合の末に19年ドラフト1位で入団。プロ2年目の21年は開幕ローテ入りして9勝をマークしたが、翌22年の一軍初登板(3月29日の巨人戦)で右肘を故障。先が見えないリハビリを強いられた。復帰過程では左足首のケガや腰痛に見舞われるなど、紆余曲折あった。

1年目の新人合同自主トレ中に、右肘の炎症が判明したが、2年目は中10日のゆとりローテでシーズンを完走した。症状が悪化した3年目のリハビリ期間中には手術の選択肢が浮上。奥川本人によれば、「4つ、5つ」の病院に足を運んだ。その中に「手術不要」と診断する医師がいたこともあり、「手術はあくまで最終手段で。まだやれることが残っているのに、そっちを先にやりたいなと。それで治るんだったら」と、メスを入れない形で復活を目指した。

同学年の佐々木朗希(ロッテ)は高校時代、甲子園で華々しく活躍する奥川を憧れの存在に上げていた。この日は、投げることができれば、勝てる力があることを改めて証明した。今後も右肘との“戦い”は続くだろうが、完全復活を遂げることができるか。

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日刊ゲンダイは2月のキャンプで奥川に独占ロングインタビューを実施。本文中でも触れているが、本人の口から赤裸々に語られた「右肘手術回避の理由」「復活への覚悟」「佐々木朗希の存在」の中身とは……。

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