フリーアナ生島ヒロシさん「人生はラグビーボールみたいなもの」【私が生きるクスリ】

フリーアナウンサーの生島ヒロシさん(C)日刊ゲンダイ

TBS出身で、芸能事務所「生島企画室」代表の生島ヒロシさん。今もラジオ番組の生放送「生島ヒロシのおはよう定食・一直線」のパーソナリティーを務めているが、長く第一線で活躍する秘訣は何か。

先月になりますが、経済評論家の岩本さゆみさんと共著「日本経済 本当はどうなってる?」を出しました。その取材で「健康の秘訣は?」と聞かれ、カイロ健康法と答えたら、これが受けちゃいまして。朝起きて調子が悪かったらカイロを貼るんです。お付き合いのある漢方の先生に「体を冷やすな」と言われたことがきっかけです。調子がよくなったら外し、昼間は貼りません。

医学博士の石原結實先生と「70代現役!『食べ方』に秘密あり」を2年前に出しましたが、石原先生も冷えを防いで体温を上げると病気が治るという考え方です。先生にはいつも本音をうかがっていて「調子が悪い時はどうすればいいですか」と聞いたら「葛根湯を毎日3包飲みなさい」と言われました。それで毎日葛根湯を飲んでます。

リスナーの方には「三日坊主ヒロシ」として有名なんですが(笑)、僕の周りにも病気になる方が多いので、今はマジメに運動をやろうということで、毎朝、番組が終わったらプールに行って100メートル泳いでいます。100メートル? って思うでしょ。何百キロも走る間寛平さんに「僕も運動しているんですよ、毎朝100メートル泳いでます」って言ったら思いっきりコケていましたけどね(笑)。

でも、たった100メートルってバカにするじゃないですか。ところが、毎朝月~金で泳いでたら、胸の筋肉がついてきましてね。(胸を張って)この通り、すごいですよ。それから血圧がやや高めだったのが、昨日、クリニックで測ったら130の77。ベストです。このところずっと安定しています。

取材とか、仕事が入らないのは朝じゃないですか。朝はプールもほとんど人がいなくて、自由に泳げる。朝を活用することをお勧めします。

それから前立腺の治療もやっています。みなさんも夜、頻尿じゃないですか。八味地黄丸とか飲むじゃないですか。

僕は代官山(東京)の斎藤恵介先生がやっているuMISTというクリニックに行ってます。行き始めたら本当によくなって。知り合いの有名な方なんか一晩で10回も起きるって言うから、行くように勧めました。

頻尿が治ると睡眠が深くなるでしょ。通うようになってから毎朝、朝勃ちです。困っちゃいますよ。もっとも、トイレまでの朝勃ちなんですけどね(笑)。とにかく生活の質が上がるのでみんなに紹介したいですね。

この年になると頻尿とか病気の話なら、同世代はだいたい経験があるからわかる。いい薬があるとかいい先生がいるというと、僕のことを尊敬するんです。そして元気でいくつになっても仕事をしていれば、認知症の問題だって解決できると思っています。

岸博幸さんとホリエモンが雑誌の対談で「お金を使うなら健康。健康に投資する」というようなことを言ってたけど、そうすることが、自分に対するリターンが一番確実です。

僕はTBSに入る時から独立すると言って、辞めています。フリーになって、幸いなことに番組が終わっても、次の番組まで何カ月もブランクがあるということがなかったんですよ。辞めた後、月~金のベルトの番組をフジテレビでやってからTBSになり、またフジテレビ、次は単発の番組になったけど、ラジオの番組が決まって、ラジオは26年目です。

もし何カ月か番組が空いたら落ち込んで、先行き不安になっていたと思います。ラジオになって収入は減ったけど、働き続けていると集中しなければいけないので、余計なことを考えない。いろいろあっても、本業が動いていると会社も回るのですごいストレスがかかるような生活ではない。ここまでうまくつながったのは神様のお導きだと思います(笑)。

ただし、中長期的な目標を考えながらやっていました。AプランがダメならBプラン、BプランがダメならCプランとロングレンジで。番組が始まるということは終わるということです。終わったらどうしようとつねに考えていました。

1社提供番組だとして未来永劫に提供してもらえるわけではない。お世話になったことに感謝しつつ、終わったらスポンサーを探そうとか。独立してから放送局の営業や代理店みたいな仕事も自分でやり、仕事がなくならないようにしました。サバイバルです。

お金に関しては、行き当たりばったりですね(笑)。家は裕福じゃないし、高校2年の時に一番下の弟ができて大学に行けるような状況ではなかった。それでも、父親が大学に行かせてくれた。ただし仕送りはゼロ。バイトで稼ぎました。そうこうしているうちにアメリカに行くことになり、残りのお金が100ドルぐらいしかなくなった時期もあるけど、バイトしながら頑張って卒業するんです。働けばなんとかなる、なせばなるなさねばならぬ何事もです。

その勢いのままTBSに入って、終身雇用制だけど、一生いるつもりはないから13年で辞めました。年収は会社に入ってベストで1200万円くらい。バイトも同じくらい収入があった。独立した1年目は1億2000万円、次が2億4000万円、次が3億6000万円、4億円近くまでいった。それから下がってもテレビ時代は2億円は稼いでいました。ラジオに移ってからはもっと下がりましたけど。

TBS時代にマンションを買い、その後、我が家をぶっちゃけ4億円で買いました。ワンルームマンションの投資もブームで、ワンルームも4つか5つあった。この事務所のマンションもおそらく住人の中でも一番高い1億6000万円で買っています。不動産は7億円近く。それから同級生のディーラーが「資産を増やしてやる」というのでいろいろ付き合って買ったら、増えるどころか減っちゃうじゃないかって(笑)。お金は借り入れでやったわけじゃないけど、一時は借金が10億円近かった。

バブルがハジけ、ワンルームマンションは全部処分し、借金の残りも返済して事務所と自宅だけはキープしました。バリバリ稼いだ時も使える余裕はなくていっぱいいっぱいだった。随分ムチャしましたね。

最近は僕のことをアナウンサーの憧れのモデルと言ってくれる人もいます(笑)。局アナから独立、フリーで活躍し、事務所にはいろんなタレントさんが入ってくるようになり、経営者としての顔を持ち、つねに新たなチャレンジをして、寄席の舞台で漫才までやっている、なんて。

でも、僕はアナウンサーとしては正統派じゃなかったんです。あの時のTBSは3人しか採用しない予定だったのに、4人目で僕を採った。正統派じゃないけど、当たるも八卦で、変わり種を採っておこうかという、ユニーク枠です。今では正統派はキャリアを終えているのに、なぜか僕だけ最後まで行き残っています。人生は本当にわからないものです。

ある程度の年になってわかったのは人生はラグビーボールみたいなものということです。どっちに転ぶかわからない。それでも、ピグマリオン効果というギリシャ神話の発想があるじゃないですか。他者から期待されるように、それを信じてやってきて、全部とは言わないけど、いい形で仕事をやってくることができたということだと思います。

老後については、年金で暮らせるという発想でリタイアして、のんびり人生を終えるという昭和の成功事例、シナリオがこれまでありました。でも、そういう時代ではなくなったので、もっと金融リテラシー、マネーのリテラシーを高めていかないといけない。

老後の資金2000万円と言われていますが、それを決める会議に出ていた人に聞いたら実際はもっと上だったそうです。

実際の話、それをストックして貯めておくのは大変だけど、フローのお金が入ってくればなんとか生活はできる。

年金が国民年金か厚生年金かでだいぶ違ってくるけど、プラスアルファで働き続けられるシミュレーションをし、75歳くらいまで働き続けられればなんとかなるんじゃないか。

僕なら机上の空論で考えるより何でもいいから、お金が入ってきて年金の足しにするという発想で働きますね。それには個人経営者として仕事に参加していくようにやっていくのがいいと思います。本でもそのメリットは書いています。

楽しみながら働けるだけ働く。昔みたいに上司の顔色をうかがったりせずに。それが大切です。

(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)

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