「被害者に向き合って」原発事故の責任、問い続ける原告 最高裁判決から2年 福島

東京電力福島第一原発事故の集団訴訟で、最高裁判所が国の責任を認めない判決を出してから、6月17日で2年となります。判断が示されたのは4つの裁判で、このうち、群馬訴訟の原告だった女性は、場所を変えながら、原発事故の被害を伝え、国の責任を問い続けています。

丹治杉江さん「あの日は高崎の駅に戻る予定だったんですけれども、気がついたら新潟に帰ってましたというか、電車乗り越してましてね。それくらいもう茫然自失というか、何も覚えていないという状況ですよね」

群馬訴訟の原告だった丹治杉江さん。最高裁判決の日を、こう振り返ります。いわき市から群馬県に避難し、他の避難者とともに、国と東電を訴えましたが、おととし、国の責任を認めない判決が確定しました。

丹治さん「あの判決は絶対に許せないし、本当にね、涙も出ませんでした。その思いは今もすぐ思い出せてしまうというか、思い返してしまって、悔しくてなりません」

判決の後「原発の問題からは少し離れたい」とも考えた丹治さんでしたが、ある人物から「伝言」を預かりました。

丹治杉江さん「家族からは、もうやるだけ十分やったんだから、少し休んでもいいんじゃないかって言われました。そうしていこうかなと思っていたんですけど、そんなときに早川さんから福島に帰ってこい、俺たちと一緒に次のステップに登ろうじゃないかっていう声をかけていただいたんです」

楢葉町の住職、早川篤雄さん。いわき避難者訴訟で原告団長を務め、およそ半世紀にわたって、原発に反対する運動を続けてきました。

震災10年となる2021年には、境内に私設博物館、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館を作り、原発事故に至った経緯や、事故前の貴重な資料などを展示しています。その早川さんは、おととしの年末に、帰らぬ人となりました。

亡くなる間際、早川さんは「伝言館」の今後を丹治さんに託しました。

丹治さん「早川さんはご自分の体調が思わしくないことも感じていらっしゃったし、この施設の今後のことを考えて、丹治やってくれないかって」

「後続の裁判で覆す判決を…」

迷いもありましたが、丹治さんは福島に戻ることを決め、伝言館の事務局長として、活動しています。引き受けた理由の1つに、あの判決がありました。

丹治さん「やっぱりあの最高裁判決の理不尽さ、不正義さ、悔しさ。ずっと引きずっていたものですから、わかったと早川さんの後を引き継いで。後続の裁判で、この最高裁判決を何としても覆す判決を取ってほしい。そのためにできることは何でもやっていきたい」

そして、6月13日。福島地裁前でマイクを握る丹治さんの姿がありました。

丹治さん「とにかく被害者にまず向き合っていただきたい。国・東電はというのがあります」

丹治さんは、処理水海洋放出の差し止め訴訟の原告として、再び、法廷で戦うことを決めました。

丹治さん「汚染水訴訟があるということで福島に戻ってまいりました。被害者にまた被害を押し付ける。こんな二重の加害は許せません」

判決が確定した後も、原発事故の責任を問う原告たちの闘いは続いています。



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