「あと3回出場するチャンスがあった」サッカー元日本代表・大久保嘉人さんが明かすオリンピック秘話 協会に意思を問われ…

アテネ五輪前の強化試合でゴールを決め喜ぶ大久保

大久保嘉人コラム「一路邁進」❾
パリ五輪の開幕が少しずつ近づいてきました。五輪はもはや日本の「文化」と言える存在。今回も盛り上がるでしょう。サッカー男子のU―23(23歳以下)日本代表もアジア予選を突破し、本大会への出場権を獲得しました。いい選手も多く、楽しみです。

僕は2004年のアテネ五輪に出場しました。大会が始まる前、五輪で活躍して海外のクラブに移籍するんだ、と心に決めていました。近年は欧州でプレーする日本人選手も増えましたが、当時は海外のスカウトの目に留まる機会もなかなかない時代でしたから。

代表とクラブの駆け引きの中で…

アテネでは、チームは1次リーグで敗退しましたが、個人としては3試合で2得点を決めました。大会後、ドイツやイタリア、スペインのクラブからいくつもオファーをもらうことができました。スペインでプレーしたい思いが特に強かったので、同年にマジョルカへの移籍を決めました。

サッカー男子の五輪は年代別の代表を軸に戦いますが、現役時代にはあと3回、出場するチャンスがあったんです。本大会は、24歳以上のオーバーエージ(OA)枠があります。08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロの3大会で、いずれもOAでの出場の打診がありました。

最初に日本サッカー協会から意思を問われ、自分は「出たい」と即答しました。そこからは協会とクラブの交渉になります。たとえ出場したくても、クラブが認めてくれなければ参加はできません。Jリーグの場合、五輪期間中はシーズンが続いています。欧州でもリーグ戦が夏に始まるため、開幕に向けた大事な時期なんです。

代表とすれば主力となる選手を呼びたいけど、クラブが認めない。その駆け引きが続きます。僕も結果的には、OAでの出場は一度もかないませんでした。

日本サッカーが成長した証明とも

サッカーの場合はワールドカップ(W杯)が最高峰の大会なので、特に欧州では年代別で争う五輪の価値を見いだしにくいところがあります。スペインやドイツでプレーしながら、その雰囲気を実感しました。選手にとっても、その時期にチームを離れることで、戻ってきたときにポジションを奪われるリスクがあります。もちろん、日本代表としてプレーする喜びに勝るものはないのですが。

今はOAだけでなく、久保建英(レアル・ソシエダード)のような五輪世代の選手も簡単に出場できなくなっています。それだけ海外クラブで重要な地位を得ている選手が増えているわけですから、日本サッカーが成長した証明と言えるかもしれません。

五輪は本当にいい思い出です。もし4度も出ていたら、すごいキャリアになったのになあ。そんな選手はいないでしょうから…。
(サッカー元日本代表)

大久保嘉人(おおくぼ・よしと)1982年6月9日生まれ。福岡県苅田町出身。長崎・国見高3年時に総体、国体、全国選手権の「3冠」達成。2001年にC大阪入り。海外ではスペイン、ドイツのクラブでプレー。国内では神戸、川崎、FC東京などに在籍。13~15年はJ1得点王。J1通算191得点は歴代1位。04年にアテネ五輪で活躍。10年はワールドカップ(W杯)南アフリカ大会、14年には同ブラジル大会に出場した。日本代表通算60試合出場、6得点。21年に現役引退。家族は妻と4人の男児。

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