西南戦争出兵の兵士ら慰める 横須賀・深浦町内会で代々続く墓供養に警視庁が感謝状 横須賀市

墓前で手を合わせる今村町内会長

西南戦争からの帰途でコレラに感染し、亡くなった警視隊らが埋葬されている浦郷町の官修墓地。その清掃・献花などを戦後60年以上行ってきた深浦町内会が6月5日、追浜行政センターで警視庁から警視総監感謝状を授与された。感謝状を交付した森元良幸警視副総監は「われわれの先人の供養のために多大な貢献をしていただいた」と謝辞を述べた。

1877年に勃発した西南戦争に際し、明治政府は征討軍を九州に派遣。終結後、東上する船内でコレラがまん延し、入京を禁じられたため長浦湾口に停船した。患者は箱崎の病院に収容されたが、警視庁警部補心得七宮盛衛はじめ31人が亡くなり、引き取り手のない遺骨は対岸の追浜(現在のアイクル付近)に埋葬された。同地が海軍用地となるため、1913年に深浦の地へ移転され、現在は48基の墓石が並ぶ。

「歴史伝える文化財」

敗戦後、軍の解体で墓地の管理は国から市に移り、地元の有志で清掃や供養が行われていたが、60年ほど前から町内会が主体となって取り組むようになった。

そのほか、毎年5月には同会と追浜行政センターが合同で慰霊祭を実施。過去には墓下に眠る兵士の子孫も訪れたという。

2027年には埋葬者の没後150年を迎えることに際し、同町内会会長の今村恭啓さんは「当時の大変な世相・歴史を伝える文化財として、絶やさずみんなで守っていきたい」とコメントした。

今村会長(中央左)と森元警視副総監(左)

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