かつては父への“反抗”も、今は“金メダルで1番喜ぶ姿を父に” パリ五輪代表・櫻井つぐみ 密着で見えた「父への思い」

パリオリンピックまで2か月を切った中、「からふる」ではこのほど、レスリングの櫻井つぐみ選手に密着取材しました。先輩としての“頼れる一面”や、厳しかった父への“思い”が垣間見えました。

6月6日、群馬県高崎市の育英大学。パリオリンピックが2か月後に迫る中、レスリング場に、櫻井つぐみ選手の姿がありました。去年9月の世界選手権女子57kg級で、準決勝に勝利しパリオリンピック出場権を獲得した櫻井選手は、そのまま“3大会連続優勝”。

階級の“世界王者”として、初めてのオリンピックに挑みます。

■櫻井つぐみ選手 「『あと2か月』っていうのは、本当に『早いな』と思うし、『あと1年』『あと半年』とか言っていたら、もう『あと2か月』になったので…。今まで、全日本とか世界選手権に向かう気持ちと一緒なんですけど、やっぱりオリンピックとなると、本当にたくさんの方が応援してくれるので、そういうのを全て力に変えて戦いたい』という思いも強くあるので…。『自分のいつも通り』ができればいいなと思っていて。あんまり『オリンピック!』『オリンピック!』って思わないようにはしています」

3歳の時、父・優史(ゆうじ)さんが立ち上げた「高知レスリングクラブ」で競技を始めた櫻井選手は、優史さんが監督を務めていた高知南高校時代まで、ずっと父のもとでレスリングに打ち込んできました。大学進学で初めて親元を離れましたが、ここ、育英大学での4年間は、厳しかった“父の教え”を胸に、成長していきました。

■櫻井つぐみ選手 「(高校時代は)反抗期だったので…(笑)。学校も一緒だし、家も一緒だし、通学の間も(車で)一緒だし…。『嫌だな』と思っていた時期もあったけど、その時期を乗り越えて自分自身で自立もしたし、大学に入って(レスリング部の)人数も多くなると、全部は誰も言ってくれる人はいないんですけど、『ここで甘えたらダメだ』とか、そういうのは全部、父にそういう風に教えてもらわなかったら、今ここまで結果も出ていなかったと思います」

この春、大学を卒業した櫻井選手。卒業後も「助手」として大学に残り競技を続けていて、慣れ親しんだ後輩や、大学時代の成長を支えた柳川美麿(やながわ・よしまろ)監督らとともに、日々、練習に励んでいます。

■育英大学 柳川美麿 監督 「高知県でやってきたことをベースとしながら、ちょっと枝分かれしたところで色んな技術を学んで、今がある。あとは体力面ですね。体力面に関しては、大学に来てからフィジカルトレーニングとかも含めて強くなりましたし、練習量も、たくさん人数がいるので、数多く実戦練習=スパーリングもこなして、精神的にも強くなっている。だから、『どこか1つ』というよりは、つぐみの場合は、技術的なもの、体力的なもの、精神的なもの、全て、少しずつ成長した結果が今になっていると思います」

後輩たちにとっても、“お手本”のような存在だそうで…

■後輩・藤本成海 選手 「レスリングを突き詰めて、できるまで居残り練習とかをやるところが、すごく勉強になります」

練習の後は、夕食。普段、朝と夜は大学の食堂で後輩たちと一緒に食べます。

(Q.つぐみ先輩はどんな先輩?)
■鹿糠鉄斗 選手 「どんな先輩…どんな先輩?」

■櫻井つぐみ 選手 「優しくて…?」

■鹿糠鉄斗 選手 「えぇ…?どんな先輩…」

■本名一晟 選手 「いや~もう、強くて優しくてかわいいっす!」

■鹿糠鉄斗 選手 「それが正解…?」

そこにやってきたのは…同じ高知出身の2歳下の後輩、清岡幸大郎選手の妹・もえさんです。

■清岡もえ選手
「いただきます!」

幼少期から、高知レスリングクラブで一緒に汗を流してきました。もえさんにとって櫻井選手は、遠い群馬の地で、「頼り」になり“目標”でもある心強い存在です。

■清岡もえ選手 「(櫻井つぐみ選手は)レスリングの練習を一緒にやるだけじゃなくて、いろんな面でお世話していただいているので、感謝の気持ちでいっぱいです」

■櫻井つぐみ選手 「お世話をしないとダメで、Tシャツを貸さんといかん、お茶もあげんとかん…」

■清岡もえ選手 「ん!?お茶はもえのを飲んでくるやん!勝手に飲んできます!他人の水筒のを!」

■櫻井つぐみ選手 「ほんで、洗濯物も私に取りに行かせる」

■清岡もえ選手 「それは事情があったやん…(笑)」

にぎやかな夕食を終え、帰宅するのは夜9時前。最近、運転免許を取得したという櫻井選手は“車通勤”です。

この日、自宅での取材には、同じ育英大学で競技を続ける1歳下の妹・はなのさんも来てくれました。

(Q.初めての1人暮らしは?)
■櫻井つぐみ選手 「自由で楽しいです。たまに遊びに来てくれるのでさみしくもないし」

幼少期から、父・優史さんのもとでレスリングに打ち込んできた2人、当時から、父の指導は厳しかったようで…

■櫻井はなのさん 「今でも本当に残っているのは、『何しても怒られるな』みたいな…(笑)。道場でも怒られて、帰りの車でも怒られて、家でも怒られて、みたいな…(笑)」

■櫻井つぐみ選手 「厳しいですよね、しかも親なので。そりゃあ、もちろん、嫌な時期もあったけど…」

ただ、離れて暮らす今は、父はしっかりと“娘たち”に寄り添い続けています。

■櫻井はなのさん 「大学4年の4月の大会で、いつも勝っている人に負けて、けっこう辛くて。試合が終わった後すぐお父さんから電話がかかってきて、その時ももうメンタルやられているので『もう辞める!』みたいな感じだったんですけど、『これから社会に出たとき、努力し続けて勝てることの喜び、負けた時の辛さを糧にしていくこと、両方が大切』そういう話を優しくしてくれるので、心の支えにはなっています」

■櫻井つぐみ選手 「応援は来てくれるので、自分が頑張っている姿を見せたいし、心配もしていると思うし、『何でも言って』と言ってくれるので、自分がまずは(パリ五輪で)結果を出して、目の前で“自分が一番喜んでいる姿”を見てもらいたいと思います」

…と、そこへ電話が。

■(電話) 「つっきー!やっほー!」

中学1年生の妹・つきのさんです。この日、全国大会を2日後に控えていました。

■(電話) 「がんばりよー、ばいばい」

そして、つきのさんの全国大会を取材する予定の私たちは“あるもの”を託されました。

■櫻井つぐみ選手 「(つきのの全国大会に)行けないので、渡してもらおうかなと思って。『つっきー、がんばれ』っていう感じで…。いつもは『頑張れ』をくれるので、お返しで…」

お姉ちゃんたちの“思い”を背に、つきのさんたち“高知の後輩”が、全国大会に挑みます。

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