「黒い雨」はどこまで降った? 79年経って未だ争う理由はどこに? 新基準運用後もくすぶる思い「どうすれば信じてもらえるのか」 第二次「黒い雨」訴訟 追加提訴で原告は46人に

広島地裁で「黒い雨」を巡る訴訟の意見陳述が行われました。追加提訴もあり、原告は合わせて46人となりました。この問題について考えます。

今から79年前、原爆投下後に降った放射性降下物を含む雨がいわゆる「黒い雨」と呼ばれるものです。

去年4月、この「黒い雨に遭った」のに被爆者健康手帳の申請が却下されたとして、広島市や県を相手取って訴訟に踏み切った人たちがいます。最大の争点となるのは、「そこに黒い雨が降ったのかどうか」。体験した人の話を聞いてきました。

30kmほど離れた場所でも「黒い雨」に遭った記憶…

86歳の河野博さんは、原爆が投下された時、佐伯郡吉和村、今の廿日市市吉和にあった吉和国民学校の3年生でした。

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「光った時にガラスがガタガタガタっと揺れましたよ。まもなくしてダーン!いう大きい音がして」「それからなんとも言えんねずみ色のようなのがぶわーっと上がって、空が真っ黒になってね、ほいで『山へ逃げ』いうことで」

校庭で並んでいた時に、山の向こうのキノコ雲を目撃。何が起きたのか分からないまま、先生の指示で裏山に逃げ、様子が落ち着いたので山から下りてきたところ、奇妙な光景を目の当たりにします。

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「真っ黒な焼けた紙くずがいっぱい舞い上がった。冬ボタン雪が降るでしょ? ああいうように。珍しいけ、手でこうやって拾って」

自宅に帰って、昼食を食べてから3つ上の姉と、すぐ近くの小川に水遊びに出かけたといいます。

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「その時には降りよらんかった。遊びよって降り出した。わりと降るのは降ったほいじゃが、台風みたいな感じじゃなかった」

現在、河野さんなど46人が、「黒い雨に遭ったのに、被爆者健康手帳の申請を却下された」として、広島市や県に対して処分取り消しを求めて提訴しています。

「黒い雨」を巡る裁判って確定したはずでは…?

原爆投下後に降った、放射性降下物を含むいわゆる「黒い雨」の範囲を巡っては、これまでにも裁判で争われてきました。

2015年に始まった訴訟では、それまでの援護対象区域の外で雨にあったという原告全員の訴えが認められ、国は、新たに3種類の雨域を認める新基準を策定しました。2022年4月からの運用で、24年5月末までに5900人余りが新たに認定されています。

一方、河野さんなど今回の裁判の原告は、その新基準の雨域の外で雨を浴びたとしていて、手帳の申請を却下されました。

広島市 原爆被害対策部援護課 坂本千景課長
「これらの雨域の外で雨にあった、とされる方については、さらに原爆戦災史など、過去の資料を丁寧に調査しています」「客観的な資料で確認できなければ認定が難しいということです」

雨域の外で「黒い雨」が降ったのかが、資料で確認できないから却下…。

原告の弁護団は、これまで広い範囲での供述調査が行われなかった中で、「あまりに不合理だ」と言います。

「その場所に雨が降ったかどうか」 立証責任は誰にあるのか?

「黒い雨」訴訟 原告弁護団 竹森雅泰事務局長
「広島県下全域に広げてちゃんと調査をしていればよかったんだと思うんですけど、残念ながら限定されてるわけなんですね。調査が県下全域ではない」「結局、原告の皆さんにその立証責任と言いますか、どこまで雨が降ったのかということを求めるような感じにはなってるんですけど、それはやっぱりおかしいだろうと思うんです」

国は、2020年に「検討会」を発足させ、これまでに10億2000万円を投じて、援護対象となる雨の降った区域を再検証していますが、未だ確定していません。

一方、原告の支援者らは、2023年秋、「降雨地域の外」とされる場所で、初めての相談会を実施しました。

今回の原告46人のうち、6割を超える30人が、旧佐伯郡で雨に遭ったという人たちです。会場には、その佐伯郡で「雨が降った」という話をする人たちが次々と訪れていました。

母親(当時5歳)が津田で雨に遭ったという男性
「ここですね。津田。区域外いうことなんですが、そういう風に母親から雨が降ったいうのをきいていたり」
夫が峠で雨に遭ったという女性
「峠、ここですね」
自身が当時小6で友和村で雨にあったという男性
「ざーっと黒いのが降った。それが校舎まで遠いけ、もう一人おった同級生と(校舎に)走り込んだのを覚えてる。大きな粒」

「黒い雨」訴訟 原告弁護団 竹森雅泰事務局長
「やっぱりいらっしゃるんだなと、外でやってみないとわかんない。我々のところまでたどり着かない」

「証拠がないから認められない」とされた原告の思いは…

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「証拠がない、証拠がない言うても、あの当時のものをとっとく、そがぁな考えはないですわ。理屈に合わんことをいうけ、腹が立つわけ。この身体でそういう目におうとるんじゃけ、遭わんことを言うんじゃない」

原爆が落ちたときに小学3年生だった河野さんは、1年以内に、両親を次々病気で亡くし、自身は、60代から、脳梗塞や心臓病などで手術を繰り返しています。

第2次「黒い雨」訴訟 原告 河野博さん
「そら、口に言えん苦労しました。クソ!思うて、がんばって対応しよる。ま、自分だけじゃできんけ、みんなの力を借りて。勝ちたい」

第2次「黒い雨」訴訟の原告46人のうち30人が旧佐伯郡で「雨を浴びた」としています。そのうち4人がいたのが、旧吉和村です。河野さん以外の方は、
▼雨にはゴミが混ざっていて、大きな破片を持って帰ったら大人が「舟入病院のカルテ」だと言った▼雨で服が汚れた▼水たまりで遊んだなどの記憶を語っています。

次回公判は、9月24日です。

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