福島県で最も辛口の日本酒「いち」誕生秘話…女性杜氏の思い

毎年の新酒鑑評会で金賞や入選を獲得する銘柄数が全国トップクラスの福島県。“福島と言えば日本酒がうまい県”というイメージが全国に広まる中で、2019年に大辛口という異彩を放つ日本酒が誕生しました。笹の川酒造(郡山市)が造る「福島一辛口 いち」です。この銘柄の誕生には全国でも稀な女性杜氏の思いがありました。
■厳しい日本酒造りに挑んだ女性杜氏

福島県の中央に位置する郡山市にある笹の川酒造。創業250年を越える歴史ある酒蔵です。そこで日本酒造りの最高責任者となる杜氏(とうじ)を務めるのが常務の山口敏子さんです。杜氏は酒の原料選びから製造や貯蔵まで酒造りの全てを統括する重要な役割で、杜氏の考えがその蔵の酒の味や品質に直接影響を及ぼします。酒蔵の伝統や技術の継承が求められる日本酒造りの中で、女性が杜氏を務める割合は低く、敏子さんは全国でも50人ほどしかいないといわれる女性杜氏の1人です。敏子さんはなぜ、歴史ある酒蔵で杜氏を務めることになったのでしょうか。

敏子さんは郡山市の老舗駅弁屋の「福豆屋」に生まれ、1998年に笹の川酒造の10代目山口哲蔵さんと結婚しました。蔵元の嫁として笹の川酒造に入社し、日本酒造りを一から学ぶために福島県清酒アカデミー職業能力開発校に入学。2002年に日本酒製造の専門的な知識と技能を身に着けた人を認定する「酒造士」の資格を取得しました。

その後、自らプロデュースした「純米吟醸酒 桃華(とうか)」を製造するために、酒造りに関わるようになり、先代の杜氏が退職したことに伴い、2016年についに杜氏に就任しました。笹の川酒造で当時、酒造士の資格を取得していたのは唯一敏子さんだけだったためです。しかし、敏子さんは育児の真っ最中でもあり、酒造り、常務取締役、蔵元の嫁として大変忙しく、体調を崩してしまうこともあったといいます。

日本酒は酒米選びから精米、麹造り、酒母造り、仕込み、もろみ造り、ろ過、貯蔵、瓶詰めなど、とても複雑な工程を経て造られます。酒造りの一切を取り仕切る杜氏は、その年の酒米の出来や気候などを考慮しながら綿密な製造計画を立てなければなりません。しかし、1年目は敏子さんの立てた計画に職人たちの納得が得られず何度もやり直しに。ようやく計画が認められても、作業段階でまた何度も職人からダメ出しをされる。その連続でした。敏子さんは「1つ1つの作業が複雑で、まるで全貌の見えないパズルを組み立てているような感覚だった」と話します。長年酒造りに携わっている職人たちには体に染みついた知識や技術はありますが、その多くは言葉では伝えきれないもの。杜氏としての経験の浅さに職人たちをまとめられず、涙することもあったそうです。けれど、どんな困難があってもそれを乗り越える精神力が敏子さんにはありました。

杜氏2年目の酒造りでは、前の年に覚えたことや失敗の経験を糧に取り組み、職人だけでなく社員たちにも認められる日本酒の出来栄えとなりました。そして、その年に製造した日本酒が県の鑑評会で「金賞」を受賞したのです。
「辛い1年目があったからこそ、今の笹の川酒造の酒がある」と敏子さんは振り返ります。
■新たな挑戦!福島県で一番の辛口の酒「いち」誕生

敏子さんが杜氏に就任した3年目の2018年、心強い先生となるベテラン南部杜氏の佐々木政利さんが、笹の川酒造に加わりました。佐々木さんは宮城県にある大和蔵酒造(たいわぐらしゅぞう)で創業から杜氏を務めていましたが、退職を機に敏子さんの顧問として笹の川酒造で酒造りをすることとなったのです。その佐々木さんが敏子さんにこう提案したといいます。

「大辛口の日本酒を造ってみないか」

佐々木さんは長年培った杜氏としての経験の中で大辛口の日本酒の開発に取り組んできました。笹の川酒造はその技術と敏子さんの女性杜氏としての感性を活かし、これまでにない日本酒造りに挑戦したのです。そして、誕生したのが「福島一辛口 いち」です。甘口や辛口の目安となる「日本酒度」という指標がありますが、±0が甘口と辛口の真ん中で、最近の日本酒は概ね+1~5ほど。その中で「福島一辛口 いち」は+20以上という数値です。また、アルコール度数も19%(日本酒の平均は15%ほど)と高い値。その製法は甘味の元となる米の糖分を極限まで純粋に発酵させることです。その結果「いち」は、大辛口でありながらも日本酒としての旨味とキレのある酒に仕上がりました。 ■異彩放つ「ロック推奨燗ツケ厳禁」の日本酒 2019年に製造した大辛口の日本酒を「生半可には売り出したくない」という杜氏の敏子さんと蔵元の思いがあり、すぐに販売をせずにどう売り出していくか1年間をかけて考えることになりました。

ちょうどそのタイミングで郡山商工会議所から、国が企業に専門家を派遣して経営課題の解決を支援する「ハンズオン支援事業」への参加の打診がありました。笹の川酒造では、その大辛口の日本酒を新たな看板銘柄とすべく、販売戦略の専門家にアドバイスを受けることにしたのです。

商品化に向けて議論になったのは、どのような飲み方で売り出すかということ。社内からは「加水してアルコール度数を下げて万人受けする日本酒として販売しようか」という意見が上がりましたが、販売戦略の専門家からは「この酒に水を入れるのはもったいない。逆に原酒に氷を入れて溶かしながら飲むのが一番おいしいのではないか。“ロックで飲む日本酒”として売り出してはどうか」という助言があり、その提案に社員一同が賛同することになりました。通常、日本酒は冷やしたり温めたりして飲みますが、ウイスキーのようにロックで飲むことはありません。これまでにない大辛口の日本酒でこれまでにない飲み方するという異彩を放つ戦略を決断したのです。そして、蔵元が最終的に付けたキャッチコピーが『ロック推奨燗ツケ厳禁』というものでした。そして、看板銘柄にふさわしい商品名「福島一辛口 いち」と命名しました。

さらに、こだわりはラベルにもあります。日本酒をあまり飲まない若者世代や女性層を惹きつけようと、女性社員たちのアイディアでスタイリッシュな斜めがけのラベルを考案。そのラベルには月の満ち欠けがデザインされており、月の満ち欠けに米が溶けていく様子を重ね合わせたものです。
■蔵元と杜氏が「いち」に込めた思い

米の糖分を極限まで純粋に発酵させるという造り方は、顧問の佐々木さんが試行錯誤の上確立した酒造技術でした。長年をかけて苦労の末に確立したその酒造技術を笹の川酒造のためにつぎ込んでくれました。これに対し「感謝を忘れることはない」と蔵元の当主・哲蔵さんと杜氏の敏子さんは話します。長い歴史を持つ酒蔵が新たな銘柄づくりを行うことは、並大抵の決断ではできず、まさに社運を賭けた挑戦でした。佐々木さんに唯一無二の酒造技術を託され、誕生した日本酒が「福島一辛口 いち」でした。

瓶にラベルが貼られて商品として完成したとき、杜氏を務めた敏子さんは「日本酒の売り方を変えられるお酒ができた」と感じたそうです。そして、敏子さんは夫でもある蔵元当主の哲蔵さんに「今までの日本酒と同じ売り方をしないでほしい」とお願いしたといいます。「いち」は単なる辛口の日本酒ではない、振り切った日本酒。だからこそ振り切った売り方をしてほしい。振り切った売り方をすれば、今まで日本酒に手を伸ばさなかった人たちが、日本酒に目を止めてくれるのではないかと思ったからです。

「杜氏となった年のあの“辛い1年”の経験が、いまの笹の川酒造の酒質の向上につながっていると思っています。『福島一辛口 いち』の魅力は日本酒好きの方々だけではなく、多くの人に伝わったらいいな」と敏子さんは話します。

「福島一辛口 いち」は、和食だけではなく中華料理や肉料理などとも一緒に楽しめるお酒だと感じます。また、ロックで飲む切れ味がスッキリとしていて、仕事の疲れが癒され、明日への活力となるお酒だと思います。時間がたっぷりあるときには、家族や友人たちと語らいながら、その日「いち」番の楽しい時間を、「いち」と共に過ごしたいなと思います。実はこの記事を書いている私は、福島中央テレビに去年入社したばかりで社会人2年目の営業担当です。同じ女性として敏子さんの話を聞いて、私も入社1年目の苦労や経験を糧に、これからもがんばっていこうと思います。

【笹の川酒造 公式YouTube】
☑風の酒造「笹の川」9分バージョン ☑風の酒造「笹の川」1分バージョン

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