デビュー39年目の南野陽子「老化も隠すことなく」 18歳から大切にしてきた“プロとしての誇り”

「ザ・ベストテン」の思い出を語った南野陽子【写真:荒川祐史】

『ザ・ベストテン』の思い出を振り返る

“ナンノ”の愛称で親しまれ、来年デビュー40周年を迎える歌手で俳優の南野陽子が今月26日、映像作品『南野陽子 ザ・ベストテン Collection』をリリースする。ブレークのきっかけとなったフジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』出演時のあどけない初登場シーンや、歌唱中に歌詞を忘れてしまったアクシデントなど、TBS系『ザ・ベストテン』の全出演シーンが収録された。今年は39年目。“サンキュー(=39)の年”と題し、「ファンに感謝を届けていきたい」と話す南野が、ENCOUNTでベストテン時代の思い出を振り返った。(構成=福嶋剛)

私は1985年、18歳の誕生日の6月23日にファーストシングル『恥ずかしすぎて』でデビューしました。「84年にドラマで女優デビュー」と書いてあるところもありますが、あれはまだお試し期間。正式には85年がデビュー年です。ということで、今年は39(サンキュー)の年。40周年に向けてみなさんへの感謝の年にしたいと思っています。

振り返ると、デビューからいろんな人たちといろんなことがたくさんあった39年でした。幼い頃から日記を書いたり、写真を撮る習慣があって、写真は私が生まれてから50歳まで毎年500枚くらいで、アルバム約50冊分をほぼ毎日撮り続けました。なので、割と昔の記憶はある方です。時々、写真を見返すと「毎年春は同じ服を着てたんだな」とかあの頃がよみがえります。中でも歌番組は、少女から大人へと大きく変化した10代後半から20代前半の私の記録でした。張り切って衣装を用意した思い出や体調を崩してフラフラになりながら歌ったこと、歌唱中に歌詞を忘れて「もう、歌手はダメだ」って落ち込んだこともありました。

今回、『ザ・ベストテン』の出演シーンを作品としてまとめていただきました。あらためて当時の映像を見てみると、全てがキラキラとした思い出に映り、愛おしささえ感じました。作品にまとめてくださった関係者のみなさんには感謝しかありません。

当時は歌番組といっても、それぞれに特徴がありました。『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)は割と明るい照明で、後ろのボックスに座っている歌手のみなさんの楽しそうな表情も含めて視聴者はスタジオ全体を楽しめました。『歌のトップテン』(日本テレビ系)は公開放送だったので、お客さんと同じ目線でライブ感を楽しめました。『ザ・ベストテン』は、例えるならドラマの撮影みたいな現場でした。主人公にスポットライトが当たり、光と影の演出で物語っぽいところがありました。「同じ歌番組でもテレビ局によってこんなにカラーが違うんだ」と思い、興味深かったです。そして、どの番組も今最もキラキラした人たちが「出て良かったな」って思えるような、そんな“おもてなし精神”にあふれていました。

トップテンの放送日だった毎週月曜日になると、その週のベストテン出演の連絡がありました。私もよくトップテンの楽屋で知らされて、「衣装どうしよう」「ドラマが入っていたけど、大丈夫かな」とか、そんな話をしていました。スタジオのセットは当日にならないと分からなかったんです。キョンシーという中国のお化けに扮(ふん)したダンサーがたくさん後ろで踊ったり、名物だった変わった演出もたくさんありました。ベストテンのセットも1週目と2週目は全然違い、以降も思い切った遊びの要素なんかも入ってきて、毎回、ドキドキしていましたね。

7枚目のシングル『話しかけたかった』で初めてベストテンの1位を獲りました。1位は番組最後の登場なので、出演までの待ち時間がとっても長く感じました。サプライズで友達が出てきて、母の作ったお弁当を持ってきてくれた時には思わず泣いてしまいました。バンドのみなさん全員が学生服を着て演奏してくれたり。そういうのを目にすると、もっと緊張してきて、「誰か時間を止めて!」って思っていました(笑)。

個人的には『スケバン刑事II』を見てくれている子どもたちに「寝る前に見て欲しい」と思い、番組前半の10位から8位くらいが良いなと思っていました。歌い終わると、番組終了まで中森明菜さんをはじめ、先輩歌手のみなさんの衣装やステージを「ジーっ」と見ながら勉強していました。

東京、大阪、横浜で夏のライブを7月に開催【写真:荒川祐史】

黒柳徹子から学んだ「思ったことは出し惜しみをしない」

やっぱり、ベストテンは黒柳徹子さんという生放送を知り尽くした方が最後まで司会をされたことで、歌手のみなさんが成長する姿を視聴者も楽しめたのかなと思います。あれだけたくさんの方が毎週出演しているのに、徹子さんは私と最初にお話をしたことを覚えていて、出演するたびに距離が縮まっていく感じがしました。ステージ後方に飾られたお花の陰には、徹子さんの手書きのメモがたくさん隠されていました。CM中はメモをチェックしながら、出演者に「今度のお衣装、良いわね」って言葉を掛けたり、後ろのソファーに座っている人を見たら、「こっちに来た方が映るわよ」と言ってくださったりで、常に気配りを忘れない方なんです。私も思ったことは出し惜しみをしないで、ちゃんと相手に伝える大切さを徹子さんから学びました。

13枚目のシングル『秋からも、そばにいて』では、途中で歌詞を忘れてしまうアクシデントがありました。あの時は「はい、終了!」と心の中で聞こえてきました。でも、他の出演回がちゃんとしていたかというと、そんなことは全くないですね。声も裏返ったり、思わず、「あっ」と言っちゃったりで。ファンのみなさんも、私がダメなことをよく知っているから、一緒にテレビの前でハラハラしていたと思います。今回、映像作品にそんな場面も「収録していいですか」と聞かれたので、私は「はい。大丈夫です」とお返事しました。その出来事を覚えている人も多いのに、それが入っていないのはダメですよ。

昔から自分はアイドルということを意識はしていなかったです。歌手と思ったこともなくて、今でも歌は好きなんだけど苦手なんです。ファンのみなさんには申し訳ないけれど、ライブで歌う時は緊張しちゃうから、「お客さんはキャベツだ」と思って歌っています(笑)。もちろん、若くしてデビューしたので「アイドル」というカテゴリーに入れられるのは、理解していました。でも、「アイドルだからフリフリの衣装やミニスカートを着なくちゃいけない」という考えは全然なかったです。だから、「18歳の普通の女の子っていうのを忘れちゃいけない。背伸びをしないで等身大の私をちゃんと見せていかなくちゃ」って、必要以上に意識していたかもしれません。

そして、当時は「そこまで突っ張らなくてもよかったのに」って思うくらい、お仕事場でも話し合いをしていました。私って相手との違いを認めることはできても、自分の信念を曲げてしまうことにものすごく拒絶反応を示しました。例えば、グラビア撮影で「アイドルは言うこと聞くのが当たり前」という風潮がとても悲しくて。水着姿でテーブルの上に寝るように言われると、「水着は海やプールで着るものです」と言って撮影を中断するくらい、スタッフさんとケンカになりました。でも、お仕事は絶対に投げ出しちゃいけないので、「代わりにこのワンピースを着てここに立つのはどうですか」と言って、いざという時に使える私服をいつも着ていきました。

他には夜なのに『おはようございます』はおかしいので、頑なに「こんばんは」で通しましたし(笑)。ラジオ番組でもみなさんに“ナンノ”と呼ばれるのはうれしいんですけど、「ナンノはね」とか、自分で自分のことをナンノと呼ぶのが嫌でディレクターさんに反発していました。何となく分かったフリをするのが嫌いだったので、芸能界1年生なら1年生らしく、「ちゃんと疑問と向き合おう」って思っていました。

確かに大人からしたら気の強い、生意気だと思われる娘だったのかもしれません。私もそこまで意地を張らなければ、もっといろんなお仕事に挑戦できたと思います。結局、どの道を選んだとしても自分が信じた道ならば、それが正解なんです。何度も大きくて硬い壁に自分から思い切りぶつかっては、「ガシャーン」って音が聞こえるくらい心も体もぐしゃぐしゃになりました。だけど、おかげで今も私らしくやれているし、「生きていればそれなりの面白さはあるんじゃないかな」って、今はそう思っています。

私って歌もお芝居も全然プロじゃないという自覚があります。でも、18歳の時に私はちゃんとリアルな「18歳の南野陽子」だったことが、プロとしての誇りでした。それはどの年齢でも一緒で、ちゃんと等身大で感じたことを今も大切に生きています。今月23日に57歳になります。これからも老化も隠すことなく(笑)。「57歳というプロ」としてやっていきますよ!

来年は40周年なので、「何かやりたいな」と思っています。ただし、ライブをやるにしてもお客さんに来てもらわないと実現できないので、決まったら全国のファンのみなさん、ちゃんと全員集まってくださいね(笑)。

その前に7月に東京、大阪、横浜で夏のライブ『南野陽子 To Love Again III ~GAUCHE』を開催します。『To Love Again』は映画『愛情物語』のテーマ曲で、人生で最もよく聴いた大好きな曲です。そんな誰もが一度は聴いたことがあるポピュラーソングと私の曲で構成したライブになります。良かったら遊びにいらしてください。

□南野陽子(みなみの・ようこ) 1967年6月23日、兵庫県生まれ。85年6月23日、シングル『恥ずかしすぎて』でデビュー。同年11月、フジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で主人公の2代目麻宮サキを好演してブレーク。87年、映画『スケバン刑事』主題歌『楽園のDoor』で初のオリコンチャート第1位。同年にリリースしたCDの総売り上げは、国内年間シングルセールスで1位。同年、映画『はいからさんが通る』で主演し、袴姿の衣装が注目された。以降、卒業式や成人式で袴を履くスタイルが定着。2023年、日カンボジア友好70周年親善大使に任命。愛称は「ナンノ」。福嶋剛

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