沖縄「慰霊の日」

 〈多くの部下を失って、なお小官の生存していることは、何のお詫(わ)びの申し上げ様もありません〉〈沖縄の土砂(つちすな)、僅少、同封仕(つかまつ)りましたので、御受納下さらば〉。戦後、沖縄戦で生き残った指揮官は戦死した部下の遺族約600人に「詫び状」を書き続けた▲指揮官の下には遺族から356通もの書簡が返信されてきた。〈三人の子供と共に、強くつよく生きて行かねばならぬと〉〈耐えに耐えし涙は、拭ってもぬぐっても頬を濡らすのでございました〉▲太平洋戦争末期に住民を巻き込んだ苛烈な地上戦で、日米双方20万人超の犠牲を出した沖縄戦。今年2月出版の「ずっと、ずっと帰りを待っていました」(新潮社)には、指揮官の詫び状を受け取った遺族の慟哭(どうこく)が克明に描かれ、胸を打つ▲指揮官は生前、国家が始めた戦争ゆえに部隊は全力で戦うしかなかったと悔やみつつ、自衛隊員らへの講義で〈知勇を以て専守に徹す〉との言葉を残していた▲岸田政権は他国の領域内を直接攻撃できる“敵基地攻撃能力”の保有を決めるなどしており、「専守防衛」の理念を逸脱しつつあるのではとの懸念を拭えない▲戦後79年。沖縄はきょう「慰霊の日」を迎えた。長崎県出身の犠牲者1601人の名前も、糸満市の平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」に刻まれている。(堂)

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