住まなくなった実家 親の思い分かるも…長崎の女性が下した「決断」<しまい方のかたち・1>

庭でたたずむ母親と、新築時の実家の写真を手にする野口さん。実家じまいについて「親子それぞれの思いは違う」と感じている=諫早市内

 57年前に撮影された実家の写真や、庭でたたずむ母親の写真。「庭仕事が趣味で、松の剪定(せんてい)をしたり…」。長崎県諫早市に暮らす野口春代さん(76)=仮名=はきちょうめんだった母親が残したアルバムをいとおしそうに見詰めた。
 同市内を走る島原鉄道沿線の住宅地。この一角に3年前まで野口さんの実家はあった。両親は県外出身。父の転勤に伴って市内で暮らし始め、1967年に木造平屋の自宅を建てた。
 一人娘だった野口さんは73年に結婚し家を出た。母親は98年に父親が亡くなってからは1人暮らし。実家の建物について、2021年1月に亡くなる前、「人に貸して、少しでも生活の足しにしてくれたら」と話していた。野口さんはその思いに応えたいとも思ったが、人に貸すとなると手を入れないといけない。改修には踏み切れなかった。
 遺品の整理などを続けていたが、定期的に風通しや草取りが必要。野口さんの夫は27年前に亡くなり、県外に暮らす長男(49)は処分について「一任する」という。「自分が元気なうちに片付けないと」。「実家じまい」をすると決めた。
 21年秋、市内の不動産会社に建物と土地の処分を相談。依頼を受けた社長の水田茂さん(60)=仮名=が現地を見に行くと、隣も5年以上空き家だった。
 近くに親族が住んでいることが分かり、話を聞くと親族間のトラブルで手を付けられずにいたらしい。水田さんは、野口さんの実家と合わせた2軒を解体した上で、住宅建築会社への土地売却を提案。契約が成立し、家の解体や不要な家財道具の処理費用は売却費用の中から捻出した。現在は3軒の新しい家が立つ。
 県内の空き家数が過去最多を記録する中、水田さんは「処分を決めきれずに空き家になっているケースが目立つ。(野口さんのケースは)土地の有効活用ができた好事例」と語る。
 一方の野口さんも「とんとん拍子に話が進み、助かった」と感謝する。まだ新しい電化製品や庭の石灯籠などは「誰か使ってくれるとうれしい」と知り合いの関連業者に引き取ってもらい、残ったものは家の解体に合わせ処分。遺骨を納骨堂に移し「墓じまい」もした。
 野口さんは実家じまいを通じ、こう感じている。
 「両親、私、息子、それぞれ思いは違う。そこが難しい。残された人に迷惑をかけないよう始末しないといけない。本当に言えるのは、体力や気力があるうちに片付けた方がいい」

 おじ、おばを含め親世代が高齢化し、子ども世代が別の住居で暮らす場合など土地・建物をどうするかという問題に直面する。全国で空き家や所有者が分からない土地が増える中、シニア世代のよりよい暮らしを考える「シニアライフながさき」第5部では、子ども世代の選択やサポートする不動産業者の取り組みなどを紹介する。

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