沖縄と被爆者

 沖縄戦などの戦没者を刻銘する石碑「平和の礎(いしじ)」(沖縄県糸満市)。ここに今年、比嘉幸子さん=那覇市=の名前も新たに刻まれた▲比嘉さんは広島原爆の被爆者だ。沖縄タイムスの記事によると1944年、戦況が悪化する中、那覇から父の故郷広島に移り住み、そこで被爆。からくも命を拾い、46年に家族と共に帰郷した▲沖縄で戦争といえば県民の大半が巻き込まれた沖縄戦を指す。「ありったけの地獄を集めた」と形容される苛烈な地上戦。それを経験していない後ろめたさから、広島、長崎で被爆し、古里に戻った沖縄の被爆者の多くが口をつぐんだ。自らも原子雲の下で「地獄」を見たというのに▲被爆から48年の夏、戦後初めて広島に行き、原爆の悲劇に向き合った比嘉さん。以降、沖縄県原爆被爆者協議会の副理事長を長年務め、昨年7月に91歳で亡くなるまで被爆の実相を訴え続けた▲「平和活動をしてきた母を思い(刻銘を)お願いした」。地元紙の取材に比嘉さんの長女は語っている。ただ、引け目や遠慮があるのか。礎への刻銘をためらう被爆者も少なくないという▲最も多い時で沖縄には388人の被爆者がいたが今は70人。悲しみや苦しみをひた隠しにし、黙したまま人生を終えていった人たちのことも改めて思う「慰霊の日」である。(北)

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