愛南「平城貝塚」を国史跡、繁多寺境内を「伊予遍路道」に 文化審答申

1969年に建立された平城貝塚の石碑=21日、愛南町御荘平城

 国の文化審議会(島谷弘幸会長)は24日、愛媛県愛南町御荘平城の「平城貝塚」を国史跡に、松山市畑寺町の四国霊場50番札所繁多寺の境内を国史跡「伊予遍路道」に追加するよう盛山正仁文部科学相に答申した。平城貝塚は縄文時代後期(約4千年前)を主体とする遺跡で、土器や石器、人骨、動物の骨などが豊富に出土している。西日本の太平洋側の希少な貝塚として、生業などを知る上で重要と評価された。10月ごろの官報告示で正式決定し、県内の国史跡は18件となる。

 県と愛南町の教育委員会などによると、平城貝塚は僧都川に延びる丘陵の先端部にある。1891(明治24)年に発見され、戦後だけでも8回の発掘が行われた。

 日本は酸性土壌のため遺跡の人骨、動物や魚の骨などの「動物遺存体」は溶けて残らないが、食べた貝の殻が積み重なった「貝塚」では貝殻のカルシウムに守られ、出土することが多い。平城貝塚では14体の人骨をはじめ、マダイやマグロなど約20種の魚の骨、マガキやハマグリといった約90種の貝の殻、イノシシやニホンジカなど10種以上の哺乳類の骨が見つかった。

 人骨の埋葬状態からは縄文人の精神文化、動物遺存体からは食生活を推定できる。理化学的な研究も進み、人骨から血縁関係や食の志向、動物遺存体から生息域を推定し狩猟や漁労の実態に迫れる可能性がある。

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